Archive for 波紋

波紋(1237号)

「怒らない」のは昔から日本人の優れた性格だ。東日本大震災の時も、避難所の不便な生活を強いられる中、皆がじっと耐え静かに列を作って並ぶ様子は世界各国から称賛された◆その一方で「若者が怒らなくなった」と批判されることがある。大人しく、不合理なことがあっても怒りの声を上げない様子を歯がゆく思うのだろう。怒らないべきか、怒るべきか、場合によって使い分けろということか◆最近は物騒なニュースが世の中を賑わせている。○○○。それなのに怒らないどころか無関心な若者も少なくないらしい◆かくいう私も、おそらく怒らない若者の一人だ。理不尽なことが起きても怒らずに従うことがほとんどで、自分はなんて寛容な人間なのだろうと思っていた。しかし思い返してみると、この寛容さは必ずしも道徳心によるものではないようだ。単に立ち向かうのが億劫なだけなのかもしれない◆怒りたくても怒ってはいけない状況があるのと同じ様に、それほど怒りたくなくても怒らなくてはならない時がある。「もし私たちが『いらない』と声を上げていたら、もっと正しい道を歩めただろう」とはガンジーの言葉だ。非暴力運動で有名な彼も「怒る」ことの重要性を痛感していたのかもしれない。暴力と正当な怒りの表明は別物だということなのだろう◆日々を穏やかに安全に過ごすのは素晴らしいが、その心地よさに安住していると、気づいた時には○○○ているかもしれない。

波紋(1235号)

そろそろ今年も終わりとなる。本年の回顧は先月に既掲の為、二番煎じになる事は止そうと思っていたのだが、該紙発行から僅かの間にも、大変動と言うべき多くの出来事が発生した。為に本稿では、ここふた月ほどを振り返ってみたい◆まずは今年の目玉たる各国での選挙が全て終了した。米国ではオバマ氏が再選を果たし、北京では権力闘争の末に習近平氏が国家主席となった。個人的見解として、両者とも日本の国益からは喜ばしくないと感じるが、世界情勢は一体どうなることやらやら◆なんて呑気な事を思っていたら、野田首相が衆院を「自爆テロ解散」あそばされた為、世界の大変動の一つに日本の総選挙も名を連ねる事となった。民主党政権唯一の功績は、これ位だろうか◆その他にはマヤ文明が原因の、人々の混乱も挙げられる。我らが敬愛する金正恩元帥様もミサイルを発射あそばされたし、それを讃えるが如く日本漢検協会主催の「今年の漢字」も「金」となった。ついでに言えば、大学3年なのに12月で24になってしまった私の年齢もマヤ文明の陰謀だ◆因みに、私の誕生日には彼女が、またクリスマスには私が、互いに内緒で予約していた事から12月に2ホールもアイスケーキを食らう羽目になったのだってマヤ文明が原因に違いない◆さて、こんな感じで二年近く波紋を書いてきた私も引退のお年頃。長い間のお目汚しでしたが、ご覧下さり有難うございました。では!

波紋(1234号)

何だか肌寒いこの季節、学内を歩いていれば金木犀の芳香が我々の鼻をくすぐってくれる。
この、橙色の可憐な花をつけた小木を眺めながら、私は毎年こう思うのだ。もう、今年も終わりに近づいているのだなあ、と
◆振り返ってみれば、この一年には様々な事が思い出される。人生初の彼女も出来たし、夏には青春18きっぷで長崎まで帰った。
それに、台湾の元総統である李登輝先生にもお会いしたし、先の大戦で我々の為に命を懸けて戦って下さった「もののふ」にも親しくお話しを伺えた。
まあ、喧嘩別れで一人の友人を失ってしまった事は残念だったが、それも運命というものなのだろう
◆翻って今年の日本を見てみると、ここに書くのも躊躇われる位に、何とも暗い話題ばかりである。
これ以上は悪くなれないだろうと思われていた日本に、よくもまあこんなにも悪化するだけの「糊しろ」が有ったものだと、却って感心させられる程だ。
逆説的に言えば、まだまだ日本も大丈夫という事なのか。せめてもの救いになったのは、京都大学の山中教授がノーベル生理学・医学賞を受賞された事くらいだろう。
尤も、変なおじさんが出て来た所為で、これにも何となくケチがついてしまった感は否めないのだが
◆さて、ここで我が新聞学会の一年を思い起こしてみれば、岡田克也副総理講演会の開催を筆頭に、手前味噌ながら例年に無く積極的に活動していたと思う。これまでに比べて多数の広告依頼も入る様になったし、こと新聞学会に関してはキャッキャうふふな桃色の未来が待っているばかりだ。今年の新入部員が一人だけだったなんて、そんな些細な事は気にしない気にしない。うん、気にしない。気にしてないよね。うん、あの、どうかお願いですから、誰か当会に入部して下さいませませ(泣)

波紋(1233号)

 今年もまた、暑い夏がやって来た。世間には様々な夏の風物詩が存在するが、中央大学在学生にとってのそれはオープンキャンパスであろう◆あんな時代が自分にもあったなあ…。そんな思いで来場者の高校生たちを見ている訳ではあるが、私もついこの前までその一員だったのだ。その事を考えればまさに光陰矢の如しであるが、彼らの胸には当時の私のように、様々な夢が膨らんでいる事だろう◆「夢はあくまで夢に過ぎない」。これが座右の銘になりつつある最近の私だが、夢や希望が無ければ生きていけないのが我々人間だ。しかし現代の社会に、そのようなものがあると言えようか。政治や経済の混乱は諦めるとしても、十代のいじめがここまで凄惨を極めるようになっては世も末だ。「希望が無ければ何事も成就するものでは無い」とは、ヘレン・ケラーの言葉である
◆こんな年寄りの様な事を口うるさく言う面倒な性格の私にも、隣に寄り添ってくれる彼女がいる。この、夢に溢れる十代の女性に感化されたのか、最近は私まで生き生きしていると言われるようになった。夢や希望が与えてくれる力というものは、やはり偉大である◆え?そんな惚気は聞きたくないって?それじゃあ、ここらで筆を擱こう。そして、夏の風物詩であるビアガーデンにでも行って来よう。あ、モチロン、彼女と二人でね

波紋(1232号)

<「波紋」は当会のコラムです。>

 季節も麗らかな春となった。白門をくぐり晴れて本学の一員となられた新入生諸君には、心からのお祝いを申し上げたい。実は本学進学が不本意だろうと不本意だろうと不本意だろうと、まあ良いじゃあないか◆皆さんが新たな一歩を踏み出す事になった今年だが、世界にとってもまた、大きな節目となる一年である。台湾の総統選では馬英九氏が再選され、ロシアでも既にプーチン氏が次期大統領に決まった。更に、米、仏、韓でも大統領選が予定されているし、北京政府においても次期国家主席が選出される◆世界情勢が目まぐるしく変化する年に、皆さんが大学生となったのも何かの縁だろう。国際社会同様、受け身では周囲から取り残されてしまうのだから、皆さんには「攻め」の選択肢があるのみだ◆実際に「攻め」て成功した例に、「アラブの春」がある。本年2月にもイエメンで大統領選が行われ、「アラブの春」後4人目の、形式上は民選による指導者が誕生した。国民の喜ぶ姿は、正に「春の訪れ」と呼ぶに相応しい◆ここで私事も恐縮なのだが、実は私にも「春」が訪れた。誰も攻めに来ない為、「僕は難攻不落なんだ」と言い張っていたのに、あっさりと陥落させられたのである。…え?攻めろって言ったくせに攻められてるじゃないかって?分かってないなあキミ!攻めさせるのも策の内って事だよ。あ、いや、スミマセン、そんな目で見ないで…いや、寧ろ、もっと冷たい視線で僕を見て!

波紋(1230・1231合併号)

 そろそろ季節も冬本番だが、読者諸兄は如何お過ごしだろう。冬の後には暖かな春が、出番は今かと待っている。しかし世界の中には、既に春が訪れている場所もあるようだ。そう、アラブ地域である◆一連の「アラブの春」により、中東では多くの国家が動揺した。それまでは不動の権力を誇っていた為政者が、あっという間に犯罪者扱いされることに。逮捕されるならまだ良い方で、中東の狂犬と呼ばれたカダフィ大佐のように、私裁される人まで出る始末だ◆反体制派を「ネズミ」と呼んだ当の本人が、最後はネズミよろしく排水溝で捕まったとは何という皮肉か。彼は彼なりに自己の幸福を最大化させようとしたが、現代社会の根幹をなす、他者危害禁止の原則を侵してしまったようである。我々は功利主義の世の中に生きているが、何事も程々が肝要なようだ。諺に言う、「過ぎたるは尚ほ及ばざるが如し」ということか◆過多も不足も戒められるべきという。では、生まれてこの方、一度も恋人が出来たことのない私は不足の塊か。「早い所、跡継ぎを」と望む我が一族の過激派に私裁されぬよう、私としても何とかしたいのは山々なのだが。先日も部内の女子に、それも、いま流行りの「ゆるふわガーリー」な女子に、「入部当初は、先輩のことをカッコイイって信奉してたんですけど、今は、ちょっと、ねえ…」と言われてしまいました。なんて可哀想な僕…◆開き直って、「恋人なんて要らないやいっ!春の代名詞たる桜のように、僕は潔く散る人生を送るんだから良いもんね」と言おうとして気づいたのは、そもそも咲かなきゃ「散る」ことも出来ない、と言うこと。こりゃどうも、参ったね。

波紋(1229号)

 バリバリと音がする。ふと見ると、正面に座るオッサンが菓子パンを開けている。ここは電車内だぞ、まったく。しかもオノレが座っている所は、優先席だろう。最低限のマナーぐらい守れよ、ボケナスがっ!◆これが、通学途中の日常だ。「電車内で、お食事してはいけません」って、誰も教えてくれなかったんでしょうね。可哀そうなオジサンです。会社にも家にも居場所がないんでしょう。そう思うと、あなたのハゲすら愛おしい◆こんなオッサンなら仕方ないが、これが公人ともなると話も変わろう。確かに、前後のコンテクストも分からない為に声高な批判は出来ないが、「放射能をつけちゃうぞ」は、余りに頂けなかった。聞く所では売り言葉に買い言葉だった様だが、それでも糾弾されて仕方ない◆だが、公人では無いからと言って、傍若無人な振る舞いが許される訳でも無い。何だか最近、我慢の出来ない人が多いと思う。先にも挙げたが、特に公共交通機関でのマナー違反は目に余る。電車内でビールを飲み食事をし、中には地べたに座って奇声を上げる集団もいる。そんな連中のズボンには、大きく「CHUO UNIV.」の刺繍が入っているものなのだが◆尤も、彼らの様なタコ助だけが批判されるべきでもない。彼らの様なオタンチンを育んだ社会にも責任があるのだ。社会、これは即ち我々自身である。そして私も、批判を受けても仕方ない人間の様だ。何故かって?僕は冒頭で、オッサンの正面に座っていました。オッサンが座っていたのは優先席、では、その正面に座る私の席は…。