Archive for 波紋

波紋

 庭先の沈丁花(ちんちょうげ)が咲き春の訪れを確信する。所在無き冬の寒さも、淡い紫に縁どられたリニン色の花弁が忘れさせてくれるようだ◆沈丁花の花言葉は「栄光」「歓楽」。新入生にとっても上級生にとっても4月を迎えるにあたってふさわしい言葉かもしれない。新しい友達、新しい講義、新しいサークル…。新しい何かは、しばらく構内を包み込み景色まで変えてしまう。6月パニックもいつの間にかトーンを上げて行き、この時期はとにかく希望が多いように思われる◆希望の裏返しか、環境の変化も大きくなる。その変化は往々にして自己の内面に跳ね返ってくる。立ち振る舞いの仕方、自律の難しさ、自己評価と他己評価の乖離…様々な悩みが漠然として立ちはだかる。月並みな意見だが、5月病にかからない為には休む事が大切だ◆実は、日本に咲く沈丁花は殆ど雄株なので先ず実はならない。その花が結実しないのは、花言葉に比してずいぶん皮肉に思える。しかし、日本においてもごく稀に実をつける場合があるそうだ。その実は艶やかでトマトのように瑞々しく実る。こう形容するとその実を口にしてみたくなるが、実は辛く有毒で食す事は出来ない◆下宿に咲く沈丁花が雌株だったとして実がなるのは6月。桜の季節から初夏を思うのはどことなくいじらしいが、浮足立つのも悪くはない。

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 先日、戦後70周年の展示会がキャリアセンターの3階で開催された。パネルには戦時下における中央大学の状況が細かに記録されていた。私たちは戦前・戦後について、必ず受動的に思考してしまう。戦後に生まれ育った故に仕方がないのだろう。展示されているパネルを目の前にして、史実として理解し得ても再び言語化する事にはためらいが残る。語りえぬものの前に沈黙してしまう◆パネルを見終わった後、ふと自分の顔がその背後とともにキャリアセンターの窓ガラスに映っている事に気が付く◆ガラスに映る自分や背後のモノたちの後ろに夜景が透けて見える時、自分や背後のモノたちは二つ存在するが、窓ガラスの外から見ても夜景は二つ存在しない。その抜け目のない非対称性の根源は、中と外の明暗の差が所以だ◆少し話がずれてしまったが、現物の自分から窓を見た時、静止画と風景画が重なっているこの状況を上手く利用すれば、異質なものをひとつに編み上げ言語化する事は可能なのかもしれない◆ガラスに映る世界は、光源の具合を少し変えてみるだけで色合いも輪郭も少しずつ変容して行く。目を少しそばめてみるだけでも見え方は異なる。表現の可能性は広がって行く◆表現の可能性が広がる事は、事実が発散してしまう危険性をはらむ。発散した欠片は恣意的に組み上げられ、他者を排撃する手段にもなりうる。各自の倫理観が問われる◆パネルを覗き込んで過ぎ去りし時を思いやる。鼻先が付くほどパネルを覗き込んだ後、遠目から眺めてみる。当たり前のように景色に変わり映えはない。パネルに鼻先の油が付いてしまった事を除いて。

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 元旦にちらちらと小雪が舞う。普段なら街が静まるころ、人々は寒空の中外へ出かける。新年の始まりのお参りと、初日の出を見るために。◆12月末はクリスマスで街がきらめいていた。子どもの頃は味しいケーキが食べられ、プレゼントが貰えるためずっと心待ちにしていた。大学生になった今、周りを見れば恋人と過ごすか、あるいは友達と騒ぐ、バイトをすることがクリスマスの定番だ。日本人にとってはイエスキリストの誕生日を祝う日というよりは、1人で過ごすには寂しく感じる日、のようだ◆日本でのお祭りとは元々、神仏や祖先の霊に祈り感謝する儀式や豊作を願うための儀式のことを指した。現在もこうした祭りが行われている地域もある。しかし、今日ではそういった側面は薄れている。楽しい行事なら和洋折衷なんだって良し◆正月が終われば節分、バレンタイン、ひな祭り―。忙しなく色を変える街を横目に、今年は12ヶ月をどう過ごそうか。お正月の風物詩である箱根駅伝をテレビで見ながら頭の片隅で考える。

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 最近日が短くなったと身を以て感じる。そして、日に日に寒さが増していく。あたりの景色もすっかり秋模様だ。大いに盛り上がった白門祭から早くも約一ヶ月が経ち、多摩キャンパスには静けさともの寂しさが漂っている。◆冷え込みが一段と厳しくなる日本列島を熱く沸かせた一人のスポーツ選手がいる。男子プロテニスプレイヤーの錦織圭選手だ。今年は、ATPツアー4勝を挙げ、全米オープン準優勝を果たすなど、一年を通して輝かしい成績を収めた。◆そして、見事に年間成績上位8名による「ATPワールドツアーファイナルズ」への出場を決めた。初出場ながらも準決勝に進出し、世界ランク1位のノバク・ジョコビッチ選手との一戦はテレビ朝日系列で生放送された。惜しくも敗れてしまったが、王者に引けを取らない積極的なプレーは日本中を熱狂させた。◆そんな日本が誇るスーパースターは、帰国してまもなくあらゆるイベントに引っ張りだこだ。しかし、今シーズンの結果に満足することなく、既に錦織選手は来シーズンを見据えている。目標は「グランドスラム優勝」だ。◆11月が終われば、慌ただしい師走へと突入する。忙しい日々の中で、「今何が出来るのか」「何を来年につなげられるのか」をしっかり把握しておきたい。これが出来ているからこそ、錦織選手は来季のビジョンをはっきりと描けるのではないだろうか。そんな錦織選手の姿を学びたい。

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 雨が降り続ける。どんよりとした雲の隙間から時折見える太陽は、すぐに顔を引っ込めてしまう。毎年変わらず訪れる梅雨の季節。不安定な気候と止まない雨に、心持ち憂うつな気分になる◆思えばもう、6月も半ばを過ぎた。春学期も残り1カ月余りとなり、月日の流れの早さに今一度驚かされる。大学4年間は短い、と皆が口を揃えて言うのも不思議ではない◆入学式から始まり、中大の風物詩である、ペデ下でのサークルの新入生勧誘活動や、履修登録で目まぐるしかった4月。新しい環境に身を置いて、心もとなく感じ、悩みを抱えた人も多かろう◆「五月病」と呼ばれる季節を過ぎれば、大学内は色めき立つ。大学生活に慣れてきた男女が交際を始めるという。「6月パニック」、略して「6パニ」とは誰が名付けたものか。噂の通り、カップルが増える光景を目の当たりにしてきた。じめじめした気分が、「6パニ」で少しでも晴れるだろうか◆梅雨が過ぎれば夏が来る。うっとうしいほどの暑さを嘆きながらも、幼い頃から相も変わらず夏休みだけは、待ち遠しい。その楽しみの前に、学期末試験が立ちはだかる。単位の心配をしながら、気分は再び憂うつになるだろう。空から降り注ぐ蝉時雨を聞きながら。

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今更の話題であるが、今年の大河ドラマは黒田官兵衛を題材としている。私の地元である福岡ゆかりの武将ということで、地元ではもちろんのこと自分自身の中でも盛り上がりをみせている◆黒田官兵衛は「戦の天才」として信長、秀吉、家康という3人の英傑に重用された。時代を動かした軍師として後世においても語り継がれるこの人物から学べることは多いだろう◆さて、官兵衛の強みとは何だろうか。よく言われているのが確かな情報力、たぐいまれな先見性、そして誠実で人の扱いもうまかったということだ。これほどの人物であるので、その強みとそれにまつわる逸話は多々残されている◆先に挙げた強みは、どれも現在の我々に通じるものではないか。例えば、先輩方が現在取り組み、そろそろ他人事ではなくなってきた就活である◆黒田官兵衛は信長に自らを売り込み、一躍、天下の舞台に躍り出た。そのとき、独自の情報網を生かして情報を集めて、それに基づく自分の考えを信長に語ったらしい。これは命がけの就活であったと言っていいかもしれない◆また、官兵衛は戦乱の世において「戦わずして勝つ」を実行した稀有な人物でもある。そのためには圧倒的な知力はもちろんであるが、例えば戦場の地理の把握や、敵城のまわりの流通など情報を集めること、ときにはそれを操作することも必要であっただろう◆他にも自領の整備に見事な手腕を発揮し、文化人としての側面も残している。関ヶ原の戦いが長引けばこの官兵衛が天下をとっていたという説があるのもご存じの通りだ◆黒田官兵衛を見ても分かるが、自らに自信を持たせるのは知識と経験、そして情報である。戦国の時代を武力ではなく、そのインテリジェンスで制した彼は現在においても、我々の模範として輝き続ける。

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今年も大学入試の季節がやってきた。大学へ進学することを志す者の多くにとって、初の入試試験となるのがセンター試験である。現在のセンター試験の元となる試験は1979年に始まった大学共通1次試験であり、主に国立大学志望者を対象としていた。だが既知の通り、今では私立大学入試にも成績を利用することができるようになっている◆センター試験はマークシート方式だ。それに加えて基本的な問題が出されるので、過去の問題を解いて形式を掴むなど対策を行えば高得点が取れる。本来ならばそうだった。ところが去年のセンター試験。前年度の問題が比較的簡単だったったせいだろうか。主に国語や数学で過去にないような問題、または出ないだろうとされていた問題が出て平均点が著しく下がった。試験時間が終了した瞬間に絶望のあまり泣き出す受験生もいたそうだ◆私立大学しか視野に入れていなかった私は大してショックを受けなかった。しかし、私の周りには第一志望とする大学の受験を諦める者が続出した。浪人を覚悟する者、私立大学のみの受験に切り替える者。彼らの無念そうな表情は未だに忘れられない◆やり直しがきかない一発勝負の場面に立つ。そんな時に想像できない非常事態が起きたら―。大人でさえ頭の中が真っ白になり、十分な対応ができなくなるだ。それが十数年しか生きていない人間なら尚更だろう◆つい先日センター試験の廃止が発表された。早ければ5年後には廃止予定だ。センター試験の代わりに基礎テストと発展テストとを設け、複数回テストを受ける。そしてその結果を大学決めの判断材料にするため、一発勝負で入試結果が決まることはなくなる。更に2次試験では、面接や論文を重視させるという。こうしたテスト方式では公立高校や私立高校、中高一貫校によって大差が出ることも懸念されるため、地方公立高校出身の私には手放しで喜べない話である◆30年以上に渡って大学受験生を一喜一憂させてきたセンター試験。緊張感が高まる中での一発勝負は人生の中でも貴重な経験となり、2次試験にも生きてくるだろう。多くの波乱はあるが、これからもセンター試験が継続していくことを期待する。

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12月1日、再来年春の採用に向けた就職活動が解禁された。2日からは学内企業説明会も始まり、キャンパスには連日リクルートスーツ姿の「シュウカツセイ」が溢れている。フレッシュな挨拶とハキハキした受け答え。大教室の後方で堂々とスマホをいじる姿勢の悪い人々はどこへ消えたのか。皆様の演技力には恐れ入る◆こんなに若者が必死になるのは、とにかく就活が恐ろしいからである。甘やかされてきた未熟な若者にとって、どう考えても過酷すぎるシステムである「就活」の意義と対策とを検証したい◆就活は辛い、と言われる。なんといっても何度も何度も突きつけられる不採用通知、つまり「あなたは要らない」のメッセージが辛い。これを何度も食らって落ち込まない人間は普通いないだろう。私などは一度失恋しただけで一ヶ月ロクにご飯が食べられなくなるのに、それが何十回と繰り返されるのは正気の沙汰ではない。NPO法人「自殺対策支援センターライフリンク」によると、就職活動をした学生のうち2割が活動中に自殺を考えたことがあるという。現代日本の就活はまさに命がけの苦行だ◆苦行といえば、こんな風習を思い出した。アマゾンの支流に住むサテレ・マウェ族の男子は、成人の儀式として世界一の毒を持つアリがびっしり入った手袋に両腕を突っ込むという。もちろんアリに噛まれて瀕死の状態になるが、その苦しみに耐えてこそ一人前の男になれる。若者が大人になる為に必要な命がけの儀式という点で、何処か就活と通ずるものがある気がしないか◆集団社会には、形は様々だが苦しみを伴う通過儀礼が存在することも多い。もちろん、だから就活はこの状態のままでいいと言うわけでは無いが、今すぐ変えられるものでもない。既に就活の流れに飛び込んでしまった大学生は、これは苦行なんだと割り切って心を守るしかないだろう。どうか頑張って生き抜いて欲しい。

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2020年のオリンピック開催地が東京に決定した。滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」アピールも東京誘致に一役買ったに違いない◆しかし、日本の「おもてなし」は本当に優れているのだろうか。実際のところ、異文化への理解や配慮はあまり進んでいないように思う。その例としてまず挙げられるのが、イスラム教徒への対応だ。今まで日本はイスラム教徒に対し殆ど無関心だったのではないか。国内におけるムスリムへの食の配慮や礼拝所の設置も遅れている◆イスラム世界へ早く目を向けないのは大きな損失だ。ムスリムは世界人口の約四分の一を占め、貧困国も含めイスラム世界のGDPの年平均伸び率は13・9%に及ぶ。海外に旅行に行くムスリムも多い◆彼らの日本への印象は悪くなく、むしろ良いにも関わらずムスリムは日本に来ない。その理由として、ハラールフード(経典シャリアに則って「食べてもいい」物)のメニューがないこと、礼拝所がないことなどが挙げられるという◆そこで筆者は先日、不勉強ながらムスリム一日体験を試みた。といっても礼拝は省略し食事だけハラールで、という簡易すぎる計画だが、それでも困難を極める。都内で簡単な昼食を取るだけでも右往左往だ。ハラール認証(ハラールと専門機関によって認められた証)はおろか「ポークフリー」などの表示すら見当たらない。チキンサンドでも中にベーコンが入っていて慌てて取り除く始末。厳格なムスリムならばポークエキスもアルコールが微量入った調味料も駄目、その他様々な規定があるから絶望的である◆もちろん、完璧に対応するのは難しいだろう。しかし、ムスリムが決して許せないポイントもある。そこに配慮しないと不快感を与えかねない。ハラール認証は難しくても、せめて「ポークフリー」の表示があれば、「おもてなし」の気持ちが伝わるかもしれない◆オリンピック東京招致には賛否両論あるが、決定したからには良いものにしたいのは共通の思いだろう。「おもてなし」には文化の違う人々に配慮した工夫が不可欠だ。有言実行な日本でありたいではないか。

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「我々の持っている天性で、徳となり得ない欠点はなく、欠点となり得ない徳もない」とはゲーテの名言だ。言い古された言葉だが、実感するのは意外と難しい◆一般的に「欠点は直し、長所は伸ばしなさい」と教えられて育つ。短所は短所でしかなく、直すよう努めるべきだが、どうしても消せなかった短所はあたかも長所であるかのように言い換えて誤魔化しましょう、そんな意味で冒頭の言葉が使われることすらある◆現代の就職活動で最も求められる力は「コミュニケーション能力」だそうだ。裏返せば、それを持たない人は不要ということか。自他ともに認める「コミュ障」、つまり極度の人見知りに悩む私は、ある社交的な編集者に相談できる機会に恵まれた。緊張して喉はカラカラ、息は絶え絶えで涙目になりつつも、社交的な人間になるためのコツを教えてもらおうと勇気を振り絞ったが、意外な答えが返ってきた◆「人見知りをするのは人の気持ちに敏感な証拠。長所と短所は対になっているから、短所を無理やり失くすと裏にある長所も一緒に消えてしまうよ。短所も長所も一緒に目一杯、伸ばしなさい。そういう大きくて魅力的な人間になる方がいい」◆目から鱗である。単に私の憐れな姿を慰めたくなって出た言葉かもしれない。だが、確かに「私はちっとも緊張しない、なぜ緊張するのかわからない」と威張っている人は、何か大切なものを忘れてきているようにも思う◆自己分析だ、自己アピールだ、とまくし立てられる中で、かえって自分の個性を見失うことがあるかもしれない。そんな時は自分の短所を見つめ、裏にある長所を探すのも良いだろう。大きな短所には大きな長所が隠れていると信じたい。