駿河台の記者たち[55]
長瀬千年・作
夏から秋の学習
6
「志朗さん、ご苦労をかけますね」
昼休みに皆で車座になって自前の弁当を食べていると、冷えたスイカを持参した文溪堂の奥さんが、笑顔で声を掛けて来た。細身で品格を漂わす、美形の若奥さんである。 Read more
夏から秋の学習
6
「志朗さん、ご苦労をかけますね」
昼休みに皆で車座になって自前の弁当を食べていると、冷えたスイカを持参した文溪堂の奥さんが、笑顔で声を掛けて来た。細身で品格を漂わす、美形の若奥さんである。 Read more
夏から秋の学習
5
文溪堂の作業所は、島地区の農業地帯にあった。対岸がちょうど、志朗が通った高校である。夏には何度か仲間と泳いで渡り、ついでにここの農家の畑からスイカを盗み取り、川水で冷やして皆でほおばったことがある。 Read more
夏から秋の学習
4
志朗は自宅近くから市電に乗った。長良川を渡った忠節橋で下車した。右方向に、小高い丘が見える。戦国時代の齋藤道三が隠居した鷺山城跡だ。その後方に長良橋と金華山、その頂に岐阜城が街を見据えている。 Read more
夏から秋の学習
3
「この本屋、これからも父ちゃんと母ちゃんで続けるの?」
「それはねぇ。そのうち満輝と嫁の美与子が名古屋に転勤願いを出して、ここから勤めに出てくれるというから、安心してるの。やっぱり長男はいざという時、頼りになるもんねぇ」 Read more
夏から秋の学習
2
準急「東海」は東京を出て、間もなく5時間。志郎はさすがに腰のあたりに痛みを覚え、立ち上がって大きく両手を広げた。名古屋を離れて木曽川を渡ると、ふるさとの岐阜だ。前方に見慣れた金華山と、山頂付近の岐阜城がぼんやり浮かんだ。 Read more
夏から秋の学習
1
60年安保は終焉(えん)した。それはあたかも挫折と倦怠の中で、満ち満ちた波が一気に引いていく海を、ぼんやりと見ているふうでもあった。しぼんだ世の中はこれから、再び満ちることがあるのか。言いようのない空虚の中で、志朗は東京駅から準急「東海」で親元の岐阜へ向かった。
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国会突入
19
この安保特集は夏休み中だから、印刷は最低の1000部となった。会室に戻って、皆で新聞を見始めたときだった。
「あれっ、この『反対制運動への提案』の大見出し、『反体制運動』の間違いだろう」
東大大学院生の原稿の見出しに、誤りを見つけたのは取材部長の伊田だった。
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国会突入
18
志朗はやるせない思いで、夏休みながら最後の中大新聞発行に取り組んだ。建てページは5月の大型連休中と同様、表裏の2ページ建て(定価5円〉である。紙面スペースに制約はあるが、曲がりなりにも〈安保総括特集〉をめざした。
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国会突入
17
さすがに志朗も、うんざりした。マルクスもレーニンもトロツキーも、まるで知らないノンポリの志朗だが、少なくとも三派に分裂した彼らは、安保闘争でそれぞれ先頭に立って、学生たちを国会デモに導いていた。国の行く末を憂える姿は純粋で、人々に勇気を与えた。
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