駿河台の記者たち㊸

駿河台の記者たち[43]

長瀬千年・作

 

国会突入

13
 夜が明けた5時ころ、再び中大教授らが7人、心配そうに様子を見に来た。5時半に座り込み体制が解かれ、一行は国会正門前へ。あちこちで紙くずを燃やす煙が上がっていた。冷えた体を温めているのだろう。

 昨夜のデモ隊と群衆は、いまや居ない。最後は東京八重洲口までデモって、学生たちは流れ解散となった。志朗も取材から解かれ、中野の部屋に戻った。

 ちょっとだけ、時計を戻すとー。
 教授らがデモ学生の行動を心配し、深夜と早朝に国会周辺を訪れたのは、実はその前日の2日間、中大では異例の5学部連合教授会が開かれ、安保反対闘争と学生との向き合い方を協議し、声明文を発表したあとだったのだ。

 その内容は①6・15流血デモの究極の責任者、岸内閣の総辞職と衆議院解散②警官の行きすぎに抗議③学生に自重を呼びかけるーの3点。警視総監に文書で抗議し、学生には学内掲示板で「学生諸君に告ぐ」の見出しで訴えた。

 学内の動きはさらに続く。20日に緊急学部長会議が開かれ、突如「21日~30日を臨時休講」と決めた。表面上は10間だが、7月1日から夏休みだから、授業の再会は9月1日になる。

「安保闘争の弱体化を図るものだ」
 昼自治会はただちに撤回要求の抗議文を決議。夜自治会は翌日午前1時にかけ、世田谷の片山学長宅に押しかけ、直談判に及んだ。

 これらの動きに中大新聞も、優内編集長が柴田総長と会見。「大学および教授の重大な責任放棄ではないか」と迫り、新聞の論説を2面から1面に移し、「臨時休講は承服できぬ/ただちに撤回せよ」と主張した。

 それでも大学は、翌日から臨時休講とした。あれだけがなり立てていた自治会のスピーカー音も、目を血走らせていた学生の群れも、うそのように消えた。駿河台キャンパスは、まさに虚(うつ)ろな〈無〉の世界に一変した。

 そんななかの23日、藤山外相とマッカーサー米大使が外相公邸で、日米新安保批准書をひそかに交換。岸信介内閣は臨時閣議で、ようやく総辞職を表明した。60年安保闘争は、急速に終えんに向かうことになる。

Comments are closed.