駿河台の記者たち㊷

駿河台の記者たち[42]

長瀬千年・作

 

国会突入
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16日のアイゼンハワー米大統領の訪日は中止になったものの、国会周辺ではこれから、樺美智子の死を悼む抗議デモが続くことになる。安保闘争は、まだまだ終わっていない。

 そんな時、東京の主要新聞7社と、全国の地方紙48社が1面で大きく共同宣言を発表した。その表題はなんと、「暴力を排し議会主義を守れ」だった。全学連をはじめとする国会デモなどを、あろうことか〈暴力〉として排し、警察官を導入して新安保を通した国会を、議会民主主義として〈擁護〉する立場に立ったのである。

 この日を境に、60年安保の潮目が大きく変わる。いや、世論をリードする新聞やテレビのあり方そのものも、激変する。戦後の日本の新聞はこれまで、戦時中の〈戦争協力報道〉を深く反省し、政府・与党と距離を置く報道に徹してきた。

 しかし、この7社共同宣言からそのタガははずれ、国会突入を主導した全学連のデモを批判。逆に政府への批判を控えるようになるのだ。まさに戦後民主主義の転換期、とも言えるのである。

 19日は衆院で強行採決された新安保条約が、自然成立する日。全学連主流派は、日比谷野外音楽堂で「学生虐殺抗議・岸打倒・安保粉砕」全学連総決起大会を開いた。中大昼自治会はこの日、主流派と反主流が同一行動を取り、3千500人を集めた。

 東大の合同慰霊祭に参加した7千人も遺影を先頭に加わり、学生の国会デモ隊は3万人にも達した。この日の国会は、空前の33万人にも及んだのである。

 夜8時すぎ、身動きできないまま座り込んでいた学生たちは、国会周辺デモに移ろうとする。宣伝カーが繰り返し訴えた。「政府は騒じょう罪、破防法の適用を窺(ううかが)っている。挑発に乗らぬよう、きょうは最後まで座り込みを敢行したい」

 激しいジグザグが始まった。だが、続々と詰めかける市民の群れで、身動きが取れない。ほとんど立ち往生のままとなり、再び座り込み体制に入った。
 自然成立の午前零時が、刻々と近づく。
「このまま座っていて、何になる」
「突っ込め!」

 憤まんやるかたない声が、あちらこちらから飛んだ。そんな時、中大の教授ら30人が、デモ隊列に到着。大学名の旗の下の学生に、慎重な行動を促して回った。
 ついに自然成立の時。

 宣伝カーは秒読みを始める。五、四、三、二、一。同時にシュプレヒコール。
「おれたちは、安保を認めないぞー。認めないぞー」
 だが、こぶしを上げる学生たちの顔は、どれも憔悴(しょうすい)し切っていた。

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