駿河台の記者たち㉟

駿河台の記者たち[35]

長瀬千年・作

 

国会突入

 中大昼自治会は主流派800人、反主流派700人、それに夜自治会500人。ほかに中大の教授団も、初めて国会デモに加わったのだ。この4つのグループが国会周辺で遭遇、その様子を中大新聞は次のように伝えた。

〈午後4時、全学連主流派が第一議員会館前で抗議集会中、その前を反主流派がジグザグデモで気勢をあげて通過。主流派から「お焼香デモはやめ、全学連の指揮下に入れ」とマイクで呼びかけた〉

〈主流派は国会を一周し、首相官邸前から国会正門へ。途中で大学教職員の抗議団と出会い、互いにエールを交換した。本学からは石原商学部教授をはじめ、清水(法)、小川(経)、大原(法)各助教授ら10人が抗議団の列に加わっていた〉

〈夜自治会は日比谷公園の夜学連集会に合流し、8時ころ国会正門へ。地下鉄駅へ向けて座り込む主流派学生に、一部から「がんばれ」の声も出た〉

 国会の周囲をデモ隊に取り巻かれたそんな5月26日、国会内ではさらなる展開を見せる。こんどは参議院本会議が、会期の50日間延長を議決したのだ。

 衆議院で強行採決した新安保条約を、参議院で議決のないまま自然成立させるためである。このまま進めば、6月19日未明には、新安保条約は自然成立してしまう。 危機感を募らせた総評(日本労働組合総評議会)は、全組織に「6月4日に時限ゼネスト決行」を指令した。

 ゼネラル・ストライキとは、産業界の枠を超えた全労働者が、一斉に罷業(ひぎょう)を打つ最大級の争議手段だ。日本では終戦から2年目の1947年、当時の吉田茂首相の「労働組合は不逞(ふてい)の輩(やから)」発言に端を発し、2・1ゼネストが計画された。しかし、GHQ(アメリカ占領軍)の中止命令で未遂に終わった。

 さらに5年後の52年、破防法(破壊活動防止法)案に対し、総評が「戦前の治安維持法」として反発。基幹産業を中心に全国約4百万人が、3波に渡って政治ストを決行した。
そのころ志郎は、まだ小学生。東京で大学生活を送っていた兄三津夫が、「それでも破防法は成立した」と、悔しがっていたことを覚えている。

 現在に戻って、総評の6・4時限ゼネスト前日の3日。中大自治会は「徹夜で労働者のストラ イキ支援を」と立ち上がった。

 昼自治会主流派は午後に4百人を動員し、国会の第1議員会館前の全学連主流派の4千人と合流。国会正門前で激しく蛇行デモを繰り返し、警備の警官隊にメガホンや牛乳びんを投げ付けた。

 さらに首相官邸に押しかけ、門を打ち壊して侵入し、内側に整列していたトラックを、ロープで次々と引っ張り出し始めた。
「官邸敷地内の侵入者は、全員逮捕せよ」

 警視庁のスピーカーで指令が出ると、武装警官がデモ隊に向かった。学生はプラカードの棒や石、レンガまで投げ付けて応戦。このもみ合いで、中大の文1の男子ほか16人が検挙された。

 昼自治会主流派一行は夜、日比谷公園でゼネスト支援全都学生決起集会。中央郵便局を支援する中大と東大本郷の約千人は、このあと郵便局前で「全逓ガンバレ」とウズマキデモで気勢を上げ、東京駅南口で仮眠。翌日午前四時から、郵便局前で座り込みに入った。

―――つづく=毎週水曜日に更新します

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