駿河台の記者たち㉞

駿河台の記者たち[34]

長瀬千年・作

 

国会突入

 志郎が警視庁に電話を入れると、交換手から回った電話に警備部長と名乗る男が出た。志郎は2件の取材妨害の内容を説明し、相手の見解をただした。

「あの日、特別にそのような指令は出していません」
「しかし、一般紙の記者はそのままで、大学新聞の私だけが差別されたんですよ」
「その辺の事情は、私には分かりません。いずれにしても、新聞協会の加盟章がなければ、一般通行人並みの扱いです」

「あなたの氏名を教えてください」
「いいですよ」
 志郎は国会前で撮影した、装甲車上で取材する報道各社の写真を使い、2段見出し「本紙記者ら、デモ取材を制限さる」を掲載した。もちろん、末尾には警視庁警備部長の氏名入りの談話も入れた。

 警視庁公安部が中大新聞を読んでいるかどうか、さらにこの2段見出しの記事にどう反応したかどうか、志郎らには分からない。

 ただ岸内閣の指揮下の警察権力が、安保反対の大衆行動を過敏に抑制する動きに、大学新聞として及ばずながら一矢を報いた形に、志郎は「してやったり」と興奮した。

 警官隊導入によって、衆院で〈新安保〉が可決された日を境に、国民の安保反対運動は一気に盛り上がった。国会を取り巻くデモが日常化し、そのエネルギーは全国へ波及した。年端もいかない幼い子まで、街角で「アンポ・ハンタイ」とまねるようになった、とマスコミは伝えた。

 中大自治会の反安保の決起集会も、それまでの大講堂から大衆的な中庭に移された。中庭を取り囲む4階建て校舎3棟と、9階建て大学本部・教官研究室は、マイクの大音響「安保粉砕」「岸内閣打倒」「アメリカ帝国主義打倒」にさらされることになった。

「安保闘争の中で、いま本気で頑張っているのは、全学連である。あすの日本は、諸君らの手で勝ち取れ。国会を何重にも取り巻き、新安保を打ち砕け!」

 180㌢の長身から発する大声で、ひときわ学生の心を揺さぶったのが、評論家の清水幾太郎だった。著書『社会学講義』や『論文の書き方』で、当時の若者に最も大きな影響を与えていた。

 自治会の国会デモは、20日のあと23日と26日へ続いた。
「国会へ怒りの波/26日『安保反対』最高潮/本学から2千人が参加」

 中大新聞の1面トップ、4段見出しである。その隣に次の3段見出しが続いた。
「大学教授らも初抗議団/本学は石原(商)教授ら10人」
 安保阻止第16次統一行動の最終日のこの日、国会デモに約17万人が押しかけた。

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