駿河台の記者たち㉚

駿河台の記者たち[30]

長瀬千年・作

 

中央大学新聞

13
 お目当てのビア・ホールは、〈ミュンヘン〉と言った。実は志朗がアルコールを口にするのは、この時が2度目。中学以来の友3人が東京の大学受験で合格したので、その1人の歯科医宅が祝ってくれ、親元を離れる子に自立の覚悟を~と、ビールを出された。志朗は恐る恐る口を付けたが、苦くて飲めなかった。その時、「こんなもの、2度と飲むものか]、と強く心に決めていた。

 ところが、ここは東京は有楽町界隈。外人客も多い洒落(しゃれ)たビアホールで、新聞を刷り上げたあとの仲間たちと、初めて陶器の蓋(ふた)付き大ジョッキーをあおった。するとなぜか、このビールは苦くない。口からのどを駆け抜ける刺激が、次の刺激を求めて止まない。

 ソーセージ類をつまみにし、11人の丸テーブルは一気に盛り上がった。志朗は仲間の「お代わり」の声に釣られて、2杯3杯とジョッキーを傾けた。これがビールなんだ。ずんずん気持ちよくなり、楽しくなる。自分ではない他人が、勝手にしゃべっているふうで、全身に自信がみなぎってくるようだから、不思議である。

 ようやくお開きとなり、全員が頬(ほお)を真っ赤に染めてビルから出た。再び日本劇場に差し掛かったころ、志朗は右へ5~6歩、そして左へ~と、蛇行している自分に気づいた。宙に浮いているようで、実に心地よい。そのとき、前方で仲間の声が聞こえた。

「伊沙山さん。こんど、新宿へ行きましょう。安兵衛のあとは歌舞伎町の握りめし屋、このごろ行ってませんよねぇ」
 井多が大きな声を出しているようだ。志朗も声を上げた。
「ぼくも連れてってください。その安兵衛とか、握りめし屋~」

 翌日から3日間は、午前10時から夜学生の1講目が終わる午後7時まで、3号館の1階入り口前で新聞の販売だ。志郎らは2時間ずつ椅子に座り、1部5円で売った。発行ごとに5千5百部ほどずつ売れる、というから驚きだ。

 その合間に担当の部署を取材し、必要に応じて広告取りである。志郎も新人ながら、早速2日間で広告取りに4ヵ所を回った。いずれも大学OBが関係する企業で、出向けばその場で広告掲載0Kの段取りが付いていた。

 東映本社宣伝課の窓口、堀側真澄にあいさつすると、
「私も、新聞学会のOB。今回はこの映画」
と、中村錦之助主演『親鸞』の広告版下全3段を渡された。

 東映といえば、志朗は子供のころから「笛吹き童子」などチャンバラや、片岡千恵蔵の「多羅尾坂伴内」シリーズをよく観たファンである。社長の大川博社長は最近、プロ野球東映フライヤーズのオーナーも兼ね、背番号100のユニフォームで知られていた。志郎はこの時初めて、大川博が中大のOBであることを知った。

 10日に1度発行する中大新聞は、編集会議から始まって取材→原稿依頼→記事執筆→広告取り→編集作業→印刷工場→新聞販売と進み、あっという間に次号の発行準備に入る。息をつく間もない繰り返しで、たとえ昼間に時間が空いたとしても、さっと切り替えて授業に出るのは、至難の業というほかない。

 だからなのか、入会して10日が過ぎるころ、新人1年生の1人が早くも姿を見せなくなった。脱落1号である。これから、どうなる? 志朗は、絶対にやめないぞ~と再び誓った。

     ――〈「中大新聞」は終わり、次回から「国会突入」

Comments are closed.