駿河台の記者たち㉙

駿河台の記者たち[29]

長瀬千年・作

 

中央大学新聞

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 午後はこんどは工場で、活版のおじさんと1ページずつ大組である。活字は逆さ文字だから読みにくいはずなのに、優内編集長らベテランは、用意した紙面割の設計図をおじさんに見せ、まるで逆さ文字が読めるかのように、見出しの位置や記事の流れ具合を手際よく指示して見せた。
 志郎を除く新人たちは、不思議な顔で見守るばかりである。

 組み上がった大刷りを1ページずつ丹念に校閲したら、あとは印刷部門任せ。午後4時ころ、高速輪転機から最初の刷り出しが出てきた。刷られた新聞は、まだ生温かい。優内らが見出しや写真に間違いがないか、その場で開いて最終点検する。最後に優内が指示した。

「ご苦労さん。あとはタクシー2台に分乗して運ぼう。残りの人は一緒に、都電で会室へ戻って」
 新聞の梱包は、工場出口で6個渡された。毎号6千部を刷っているという。志朗らがタクシーで会室に着くと、午後5時すぎだった。

「よし、新聞の販売はあすにしよう。きょうは皆で、ビールを飲みに行くぞ」
 伊沙山の声に、朝から工場で働いた新人たちに、笑顔がこぼれた。
「ちょっと待って。その前にあすの立ち売り用のポスターだけ、書いておくから」

 伊田取材部長が、墨汁を出して大紙にさらさらと書き出した。
〈中大新聞5月5日号/本日発売/1部10円〉
 その新聞の宣伝文句は~。

① 由木村校地買収・約33万平方㍍、大学発展へ遠大な計画
② [安保阻止]昼自=13日国会へ/夜自=14日授業放棄へ
③ 李承晩独裁政権・崩壊の教訓~大原光憲(法)助教授
④ 私の研究(外交史)~田村幸策(法)教授

 トップ記事の〈由木村の校地買収〉は、それから18年後の1978年に、八王子市に大学ごと移転する多摩キャンパスである。この時、大学は初めて村と第1次契約を終えたのだ。志朗はもちろん他の学生も、よもやこの土地へ中央大学がそっくり移転するとは、想像さえしなかった。

 さて、ビール会である。全員が御茶ノ水駅から電車に乗った。有楽町駅で降り、朝日新聞東京本社と背中合わせの日本劇場に出た。その日比谷通り向かい側のビルの地下が、目的のビアホールだという。

「あすから、9回目の日劇ウエスタン・カーニバルが開かれるんだ。この前、おれ観てきたんだ。すごかったよ」
 日劇の入り口前を通る時、2年生新人の小沢が興奮気味に声を上げた。

 このころ日本で初めてロカビリーが大流行し、東京の日劇には若者が1日に9千人も詰めかけた。岐阜育ちで流行に疎い志朗は知らなかったが、ロックンロールとヒルビリー(カントリー音楽の別称)を融合させた、ポピュラー音楽だという。ミッキーカーチス、平尾昌晃、山下敬二郎らが舞台狭しと熱演し、観客は興奮のるつぼと化した~と、新聞で読んだことを思い出した。
―――つづく=毎週水曜日に更新します

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