駿河台の記者たち㉔

駿河台の記者たち[24]

長瀬千年・作

 

中央大学新聞

 2日後、志朗は新聞学会に出向く前、何はさておき、英語の授業に駆け込んだ。クラス委員の大原ら3人に手をすり合わせ、これからの〈代返〉の役を引き受けてもらうためである。

「おれ、新聞学会に入ることになった。忙しくて語学の授業にさえ、出席できないことが多いらしぃ。欠席の時は、ぜひ代返を頼みたい。ドイツ語の授業もだよ」

 志朗にとってこの3人は、入学以来まだ3週問足らずの友。先の4・26安保闘争デモに向け、自治会の要請でクラス委員を買って出、苦労の末に授業放棄の多数決に導いた”戦友”なのだ。

「任せておけ」
「新聞のサークル、がんばれよ」
 3人は即座に引き受けてくれた。

 これで、英語とドイツ語の授業は大丈夫。あとはもう1つ、体育の時間だ。 グラウンドで整列したあと、先生が1人ずつ几帳面に点呼するから、外国語の授業より厄介である。どうすればよいか、と志朗は一抹の不安を残しながら、ともあれ新聞学会に出向いた。

 集まったのは、女子1人を含む1年生5人と、2年生2人の総勢7人だった。志朗らは隣の会議室に呼ばれ、早速、全体会議となった。まずは1人ずつが自己紹介。先頭を切った編集長の優内は、神戸の出身。会計の伊沙山と取材担当の井多は東京育ち。1人だけの2年生は今図保彦で、千葉の銚子出身という。

 本当にこのメンバーだけで、10日に1度ずつ新聞を発行してきたんだ、と志朗は改めて4人の顔を見直した。長老格の伊沙山が満面に笑みを添え、各自の自己紹介の内容に香辛料を振りかけた。

「紳士然としたこの優内君、 実は神戸の貿易商の御曹司。 井多君は大学の南門前で、お堅い研究書を扱う駿河台出版の跡継ぎ。そうそう、今図君のおやじさんは、確か大手醤油会社の重役だよね」

 すると、すかさず伊沙山に脇から茶々が入った。
「おいら? おいらは宵越しの銭を持たねぇ、しがねぇ江戸っ子の成れの果て、でゲス」 
 まるで落語の中のお太鼓持ちのような伊沙山の絶妙な即興に、志朗は人間的な深みを感じて好きになった。

 さて、対する新人。2年生は宮城県出身の赤麻剛と、東京の尾沢吉一。2人ともジャケット姿で、すでに先輩としての風格を漂わせていた。 口火を切ったのが赤麻。

「1年生の時に入会したかったんですが、東北のズーズー弁で気おくれして~。その1年分を取り戻すつもりで、がんばらせてもらいます」
 細身の長身の言葉には、すでに東北訛りはなかった。 人知れず努力を重ね、周囲と調和する夕イプのようだ。

 続いて尾沢。
「僕は1年間、この会室の真下の英字新聞『へラルド』にいました。だけど、やはり日本語で物申せる新聞学会に、やりがいを感じて~」
 幼年時のポリオ・ウイルス感染で、片足をまひさせたというが、明るくて気丈な発言に、人を引き付ける魅力をうかがわせた。

―――つづく=毎週水曜日に更新します

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