駿河台の記者たち㉓

駿河台の記者たち[23]

長瀬千年・作

 

中央大学新聞

 すると、取材担当の井多がピリリと締めてきた。
「活動の内容は取材に原稿書き、その合間に広告取りに紙面編集、印刷工場で活版組の立ち合い。さらに新聞の立ち売りもあります。10日に1度、これだけの作業を繰り返すわけだから、まず授業には出られなぃと、覚悟してもらわなければなりません」

 志朗が質問した。
「そのつど、出欠を取られる英語やドイツ語、それに体育もですか」
「それは授業開始の出欠の点呼の際、代わりに返事をしてくれる友人を、確保してもらうことだね」

 さらに編集長が、面接の最後を締めくくるようにまとめた。
「授業に出られる時には、積極的に出てほしい。ただ新聞学会で活動していれば、大先輩の長谷川如是開や有名な文筆家、教授らに原稿依頼などで会えます。他の学生には真似できない、生きた社会勉強が出来ますよ」

 さすが編集長、うまいところを攻めて来る。
「どうです? 授業に出られないことがあっても、 後悔しないで活動していく自信、ありますか?」

 問われた志朗は考えた。長谷川如是閑は明治・大正・昭和を生き抜く、日本の代表的なジャーナリストで思想家。文化勲章も得ているが、中央大学の前身、英吉利(イギリス)法律学校を出た大先輩とは知らなかった。 原稿依頼を通して会えるかも知れないと言われ、志朗の腹は決まった。

「授業は何とか、やりくりします。後悔もしません。入会させてください」
 志朗はありったけのヤル気を示した。 面接の好感度はまず及第点と自己採点したが、それにしても学科試験のあの出来では、どう考えても合格できるはずはない。会室を出た志朗は落ち込んだ。

 その夜、間借りの2階で食事をしていると、下から大家の声がかかった。
「電報ですよ~」
「おや、どこからかしら?」
「もしかしたら、ぼく宛てかもしれん」

 中大新聞の入会試験の結果だと直感した志朗は、一緒に夕食を取っていた隣室の亜津子を制止、階段を駆け下りた。そうそう、ここで1つ説明しておかなければならない。

 志朗が兄の美津夫と同居している部屋は、東京・中野の2階6畳間だが、 以前から兄は襖越し8畳間の姉妹と共同で生活していた。上京した志朗は、1ヵ月に食費3千円を出して仲間に入れてもらったのだ。姉妹は淡路島出身で、どちらも勤め人。兄と姉の亜津子は、いずれ結婚する仲であるらしい。

 さて、先に届いた電文は〈シケンゴウカク ゴガツニヒゴゴヨジ ライシツコウ〉。
 思ったとおり、中大新聞学会からだった。それにしても、あの答案の出来具合で合格? 志朗は狐に抓まれたような面持ちで、電文〈2日午後4時、来室乞う〉を読み返した。

 思いもかけない合格通知で、志朗はうわずった。これまで兄には中大新聞の〈ちゅ〉の字も話さなかったのに、合格の電文を見た途端、大学新聞から毎月の手当てがもらえ、遅くなれば夜食も出ることまでしゃべった。

 だがさすがに、ほとんど授業には出られなくなりそう、とは言えなかった。万一、兄の口から親に伝わったら、仕送りストップを招きかねない、と危惧したからだ。おっちょこちょいだが、締める所は締めるんだ、と志朗はほくそえんだ。

「それにしても、大学の部活動の合格通知で電報とは、まるで会社並みだなぁ」
「ほんとよね」

 兄と隣室の姉妹は、志朗が大学新聞に入会したことより、合格通知の電報のほうに関心を注がれたようだ。各家庭に電話があったのは、まだごくわずかという時代。一般の連絡は郵便が主流で、火急を要する大事な事柄の伝達には、電報がよく使われていたころだ。

 
―――つづく=毎週水曜日に更新します

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