駿河台の記者たち㉑

駿河台の記者たち[21]

長瀬千年・作

 

中央大学新聞

 配られた用紙に目を通した志朗は、一般常識から取り掛かった。時事用語らしき文言が5個並び、麗々しく「その意味を記せ」とある。何だ、これは? 出題の文言を見ると、知っている言葉は2つだけ。一般常識というから、簡単に答えられる問題と思っていた志朗は、面食らった。

 答えられた1つは、「フィラデル・カストロ」。キューバ革命で米国寄りの政府を倒し、革命政権を樹立したキューバの初代大統領である。米国がキューバを敵視し、カストロがソ連に接近して社会主義国に進む様子を、志朗は高校時代に固唾(かたず)をのみながら見守ったものだ。

 もう1つは「5社協定」だった。日本の大手映画5社が、終戦後に遅れて製作を再開した日活に対し、各社の専属監督や俳優の引き抜き・貸し出しを禁じた協定である。 映画好きだし、判官びいきの志朗だから、大手映画5社を「大人げない」となじったものだ。

 あとの3つは、チンプンカンプン。その1つ「55年体制」は、志朗にすれば、日本で定着した動労者の55歳の定年制くらいしか思い浮かばなかった。 正解は、1955年に出来上がった日本の政治体制。つまり第1党が自民党で、それに次ぐ社会党という政界勢力の枠組みが、この年から固まったことなど、志朗は知る由もない。

 もう1つの「貝殻島」も、名前から古代の貝塚などで生成した島~と勝手に解釈したが、正答は北海道・根室沖の豊かなコンブ漁場だという。戦前まで日本海域だったが、戦後はソ連海域になり、漁家は出漁のたびに入漁料をソ連に払うことになった。そういえば、新聞は日本の外交のひ弱さを書き立てていた、と志朗はあとから思い当たった。

 ことほど左様に、高校時代に生徒会の新聞部長を務め、日刊紙に目を通して世の中のことは、それなりに理解していると自負していた志朗だが、 その自信はいかに独りよがりの物だったか。この時、それらを見事に打ち砕かれた思いだった。

 そうか、これが大人の生き馬の目を抜く社会か。こんな調子なら、不合格は間違いないな。志朗はそう考えるほかなかったが、さりとて途中退場する勇気もない。成り行き上、そのまま次の英語と作文の課題に取り組んだ。

 英語の1問目は、英字新聞の記事らしき内容を日本語に訳し、2問目は日常の生活文を英語に訳す問題だ。大学の受験準備で英語には力を入れたから、まずまず回答できた。最後の作文の課題は「親父(おやじ)」だった。

「えっ、この題名だったら、戦争なんかで父親を失くした人はどうするの? 悲惨な人生に追い打ちかけるようで、かわいそうやないか」
 志朗の頭に一瞬、そんな思いがよぎった。周囲にそういう友が結構いたからだ。しかし、ここは新聞学会の入会試験場と思い直し、原稿用紙に向かった。

 志朗の父親は戦前の台湾で警察官として働き、日中戦争前に日本に引き揚げた。見合いした母の間に男ばかり4人の子を成し、定年まで紡績工場の守衛。定年後は母と小さな書店を営んでいる。志朗はそんな家族の中で、〈頑固で、しみったれで、お人よし〉の親父の生きざまを、それなりに面白くまとめた。

―――つづく=毎週水曜日に更新します

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