駿河台の記者たち⑱

駿河台の記者たち[18]

長瀬千年・作

 

中央大学新聞

「きのうの国会デモ、新聞は『空前のデモ津波。主催者発表で17万人、警視庁推計でも約6万人』と書いている。岸信介首相は国会内に閉じ込められ、夜10時すぎにようやく脱出したんだって」

 日米安保改定に反対する国民会議の第15次統一行動〈4・26国会デモ〉で、流志朗は初めて全学連主流派のデモに参加。最前列の集団だったため、後ろから押されて機動隊の装甲車を乗り越えて座り込み。警官にゴボウ抜きにされ、警棒で頭を2回殴打された。

 その翌朝、新聞を見た志朗が、興奮さめやらぬ面持ちで、一緒に住む兄の美津夫に話しかけたのだ。
「新聞記事のデモ参加者ほど、数を多く発表したがる主催者と、少なく抑えたい警察発表が異なる数字はない。 参加人数を載せるなら、新聞社が独自に数えろ、と言いたい」

 兄の美津夫は新聞記者志望だった。しかし、果たせないまま雑誌社勤務となったからか、 新聞記事に対しては日ごろから口うるさい。だが、紙面のデモ参加人数に主催者と警備当局の間で大きな差があっても、その数字の出所を明らかにしているのだから、それほど目くじらを立てる必要もあるまい。

 それを心得ている志朗は、安保についてそれ以上は話さなかった。だから、志朗自身が国会デモに行ったことも、バリケー ドを突破して警棒で叩かれたことも、結局は伝えなかった。ましてや、警棒で叩かれた悔しさが1つのきっかけとなって、 大学新聞の記者の道を選ぼうとしていることも、だ。いや、この部分は話せなかった、というべきかもしれない。

 というのも、入学後に買った4ページ建て中大新聞に、会告「新聞学会会員募集」があり、なんと〈試験期日=4月30日正午から〉とあったのだ。もし、兄に中大新聞に入ると言って、そのあと入会試験で落ちたら、なんとする。

 たかだか大学のサークル活動と思っていたのに、入会するには試験に合格しなければならない~とは。しかも、サークル名が「中央大学新聞学会」とある。〈学会〉と言えば、学者たちが集まって知識や研究を深める組織だろう。単なる〈新聞会〉とは格が違うぞ、と見栄を切っているふうにも感じた。

 さらに、会告末尾に〈試験日までにぺン書き履歴書を持参のこと〉とあった。試験に臨むには、まず履歴書を出さねばならないのだ。志朗はその日、授業のあと大学生協で履歴書用紙を買い、学生食堂で必要事項を書き入れた。
新聞学会はどこにあるのか。学生のサークル室は校舎の地下に配列されているから、コの字型に並ぶ4階建て校舎の地下を順繰りに巡った。その地下の廊下は直線で50㍍以上にも及ぶので、柔道部の練習場から出てきた学生に場所を尋ねた。

―――つづく=毎週水曜日に更新します

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