駿河台の記者たち⑰

駿河台の記者たち[17]

長瀬千年・作

 

60年安保

 志朗はまだ入学前のことだったから知らないが、実はその前年の11月27日。安保阻止の第8次統一行動で、全学連と労働者は警官隊の制止を破り、 2度にわたって国会構内になだれ込み、約2万人が1時間、正面玄関に座り込んだのだ。

 事態にあわてた浅沼稲次郎社会党書記長らが、マイクで〈即時散会〉を指示した。だが、デモ隊は聞き入れなかった。その2ヵ月後、公安調査庁は全学連のブントなどを、破壊活動容疑団体と認定。社会党などから、〈統一行動から全学連を排除〉の声が強まった。

 そんなあとの4・26だ。国会前は、2度と国会突入は許さないとばかり、警察隊は装甲車など20台近くをバリケードにしていた。緊追度はまさに一触即発の様相だ。中大はこの日もデモ隊の最前列。その中で志朗は恐怖におののきながら、しかし一方で、負けてなるものかと、踏ん張った。

 午後4時過ぎ、全学連の唐牛委員長が警察車両のボンネットに飛び乘り、ハンドスピーカーを握った。
「自民党の背後には一握りの資本家階級だけ。我々には安保改定に反対する、数百万の労働者・学生がいる!」

 アジテーションが終わるのを合図のように、学生たちが次々と装甲車を乗り越えた。後ろから押されるように、志朗も続いた。
ポ力リ。警官隊ともみ合う中で、志朗の頭にも警棒が振り落とされた。

「座れ!座れ!」
 バリケードを突破し、正門前にスクラムを組んで座り込んだ一群が、突っ立っている志朗たちに叫んでいる。 立ったままの学生は、警官に背中を押され、手を引っ張られ、次々に路上に排除されている。すごすごと、自分から歩道へ逃れる者もいる。

 このとき、志朗は一瞬迷った。ここで立ち去って、両側の見物人のように、身の安全を守るか。あるいは、このまま座り込むか。ここで引き下がれば、これからずっと自らを臆病者と見るほかなくなり、それは耐えられないと思った。

 志朗は歯を食いしばって、座り込んだ。恐怖を打ち消すかのように、スクラムを組んで『ああ、イン夕ナショナール』を歌い、大声でシュプレヒコールを唱えた。「安保改定反対」「岸内閣を打倒せよ」「暴力警官は帰れ、帰れ、帰れ!」

 陽が傾き始めた午後6時半、警官隊は約500人の座り込みに対し、ごぼう抜きの実力行使に出た。抵抗する学生には、容赦なくこん棒が舞った。志朗はごぼう抜きを待っていたかのように、素直に立ち上がった。

 ポカリ。志朗の頭に、後ろからまた警棒が振り下ろされた。
「イ夕イ~。解散して帰るところなのに、なんで殴らなあかんのや」
 志朗が振り向いて抗議すると、 同い年くらいの若い警官がたじろいだ。
「…」
 何も聞こえなかったが、「ごめん」と言っているような、純朴そうな若者だった。

 全学連はそのあと、東京駅八重洲口までデモ行進。しかし、志朗は列から離れた。この日、初めての安保デモで、2度も警棒で叩かれたわが身を総括した。

「警棒で叩かれるなんて、もう2度と御免だ。これからはデモ隊ではなく、ジャーナリストとして参加し、警察官の行動も厳しく見てやる」
 このとき志朗は、 中央大学新聞学会へ入会する気持ちを固めた。

――〈次回から「中大新聞」〉
―――つづく=毎週水曜日に更新します

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