駿河台の記者たち⑪

駿河台の記者たち[11]

長瀬千年・作

 

60年安保

「あれっ? 男ばかりやないか」
 初めての英語の授業だ。語学は出欠をきちんとチェツクするから、小教室はびっしり。そんなことより、志朗は教室に女子が1人も居ないことに驚いた。

 まがりなりにも法学部の政治学科だから、女子が少ないのは仕方がない。だが、クラスで女子がゼロとは不可解だ。他の仲間も、同じように首をかしげている。

 それは、そうだろう。思春期の高校生から、大人の世界の大学に入ったのだから、誰もが、自由かっ達に男女が談笑する世界を思い描いたはずだ。なぜここに女子が居ないのか。誰からともなく、隣や前後の席と情報交換が始まった。

「君、第2外国語、何を選択した?」
「ドイツ語」
「俺もドイツ語」

 志朗も同じく、ドイツ語を選んでいた。どうやらこの英語のクラスは、第.2外国語としてドイツ語を選択した者たちばかりらしい。教室の.中は、何やら大きな籤(くじ)にはずれた、敗北の同士たちの集まり、という雰囲気に変わった。

 とりわけ、志朗の落胆は大きかった。というのも、志朗の家庭は母以外は兄3人と父親という家族。だから当然、女性の心情に接する機会が少ない。だからか、志朗は幼いころから、女性に人1倍あこがれるところがあった。

 それなのに高校時代、男女共学にもかかわらず、3年間とも男子クラスだった。だから大学こそは、と女性と机を並べられるクラスを渇望していたのだ。

 1960年代、大学の語学の選択は、第1外国語が英語なら、第2はフランス語かドイツ語と、相場が決まっていた。そんな中で、志朗はなぜドイツ語を選んだのか。 フランス語なら、女性の志望者が多いと分かっていたはずだ。

 それなのに志朗はドイツ語を、ざっと以下のような経緯と論理で選んだのだ。まず小学校5年生の時。大学で初めてドイツ語を学んで帰省した兄・美津男から、ドイツ語の単語を吹聴された。『アルバイト』がドイツ語であること、ありがとうが『ダンケ』、人間は『フンド』などだ。

 生意気盛りの志朗は有頂天になり、 その時すっかりドイツ語を刷り込まれたのだ。 そんな下敷きがあったためか、そのうち、フランス語とドイツ語にヘンな思い込みが根を張った。

 いわく、フランス話はしょせん、フランス映画やシャンソンで人気を得ている、 軟弱で世俗的な世界の言語。だから、チャラチャラした女が好むのだ~と見くびるようになった。

 片やドイツ語は、文学でいえばゲーテのように哲学的で深遠。日本の近代化の礎・明治憲法もドイツの憲法を参考にした~と聞きかじり、ドイツ語こそが国家の根幹を成すべき有用な男の言語~と見立てたのだ。

 そんな勝手な自己判断をする時、実は志朗は耳元で「あのヒトラーもドイツの政治家だぞ」と、自分の中のささやきを聞いた。志朗は一瞬たじろぎはしたが、すぐに「それは、それ」 と聞き流した。そういういい加減さも、志朗の特性である。

―――つづく=毎週水曜日に更新します

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