駿河台の記者たち⑩

駿河台の記者たち[10]

長瀬千年・作

 

60年安保

 ともあれ、まずは授業を受けてみよう。志朗は決して勉強好きではないが、ガイダンス中に高橋健二教授の『ドイツ文学論』の講義に出会い、興味を抱いたからだ。教材はドイツ人作家、ヘルマン・へッセの『車輪の下』。高橋教授自身が翻訳したと言い、志朗も高校時代に読んでいたから、親近感を覚えたのである。

 教授の講義は、まだこの本を読んでいない学生のために、小説のあら筋から入った。几帳面で人情味ある老紳士、と感じさせた。初印象で相手の人柄などを感じ取る、志朗はそんな早業も、持ち合わせている。

〈天才的な才能を持つハンス少年が、町の人々の期待を背に、エリート養成の神学校に入学。だが、仲間らとの出会いの中で、欲求を押し殺し、勉学一筋に生きてきた自分に懐疑が募り、やがて退学―。〉

 そうそう、そういう筋立てだった。志朗は読んでいた時、ハンス少年を我がことに置き換え、切迫した気持ちにさせられたことを思い起こしながら、教授の説明に聞き入った。

〈機械工となったハンスは出直しを試みるが、挫折感や劣等感で自暴自棄になり、飲み慣れない酒に酔って川に落ち、自死の道を選択〉
川の中で意識を失っていく場面を、志朗は今さらながら切なく思い起こした。

「皆さん、この小説はへッセの自伝です。私はドイツ留学中にへッセに会ったのです」
「へぇ~」
「ほぅ~」
 学生から期せずして、声が上がった。高橋教授の講義は、見事に学生たちの心をつかんだ。

 東京生まれの高橋教授は1925年に東京帝国大学(現東京大)ドイツ文学科を卒業。成蹊高等学校(現成蹊大)のドイツ語教師となり、ドイツに留学。へッセの翻訳・研究の第一人者として、 1951年から中央大学の教授になったのだ。

 高橋教授の講義で、題名の『車輪』は主人公の少年を押しつぶす、 社会の仕組みを表現しているのだと教えられた。へッセも少年時代、神学校で学び、詩人をめざした。 だが、不眠症とノイローゼに陥り、退学、転校。そのあと本屋の見習いとなり、長い間、消息を絶ったという。

「文学は『驚き』です。社会の中で何に驚くか、その驚きが文学です」
教授の講義は、 ハンス少年かへッセ自身かと思わせるほど、熱を帯びた。志朗はもう完全に、高橋教授の虜(とりこ)という感覚。興奮して、ノートに何度も〈文学〉〈驚き〉〈驚き〉と書いた。

 志朗が中大に入学する2年前、高橋教授はドイツ文学の日本紹介の業績で、読売文学賞を受賞。2年生の時には『へッセ研究』で東京大学文学博士、1968年には芸術選奨文部大臣賞を受賞。日本ぺンクラブ会長を務め、1985年には文化功労者になっている。

―――つづく=毎週水曜日に更新します

Comments are closed.