駿河台の記者たち⑨

駿河台の記者たち[9]

長瀬千年・作

 

60年安保

 入学して1週間、まずはガイダンス授業が終わった。いよいよ、正規の授業である。ところが、志朗が大学に着くと、あれ? 昨日まであんなに込んでいた中庭も大教室も、今や嘘(うそ)みたいにスカスカなのだ。

 一体、あの大混雑は何だったのか。せんさく好きの志朗に、持ち前の野次馬根性が頭をもたげた。何か疑問なことに出会うと、なぜ?と突っ込みたくなるのが、志朗の性格である。だがこの疑問、志朗も同じ場所に身を置いていたから、すぐに思い当たった。

 そうか。一般科目のガイダンス授業で、履修する科目が決まったから、あとはそれほど根を詰めて、授業に出なくてもいいんだな。2年生以上にもガイダンス授業があったんだろう。だから終了した段階で、一気に学生数が減ったんだ、きっと。

 それに、授業のときに出欠をチェックするのは、語学と体育の時間だけ。大教室の一般科目は出欠の縛りがなく、学年末の試験で合格点に達すれば、その科目の単位は取れるというからな。授業に出ることだけが、学生の本分ではない~ということなんだな。

 この志朗の推理、当たらずといえども遠からずだろう。8歳上で同じ中大に在学していた兄美津男も、そんなふうだった。真面目に授業に出ていると、信じて仕送りする親にすれば、とんでもないことだ。だが、大学ではこれが現実である。

 親元から離れた子供は、それぞれの場で多様な生き方を学ぶ。授業に出るのも良し、サークル活動も良し。苦学生としてバイトに精を出すのも、さぼって遊びほうけるのも、これまた学生のときにしか経験できない、人生の貴重なひとこまではないか。

 偉そうに志朗は、最近、そんなふうに考えるようになった。それにしても、教室に入り切れないほどごった返していたあの喧噪(けんそう)、すっかり落ち着いたいまになってみると、ひょっとしたら大学経営者も、これらをすべて見通して、入学者数を決めているとも思えるのだ。

 生き馬の目を抜くような、大都会の真っただ中。志朗はこの日、日記帳に〈中大の1年生になって~〉と、短文を書きなぐった。

〈一体、この大学にどれだけの学生がいるのか。こりゃ大変だ。ボヤボヤしていたら、自分がこの大学に居たってことを、だれにも知られないまま、卒業しなきゃならん。それだけは、御免だ。この大勢の中で、自分をどう引き出し、どう確立するかだ〉

―――つづく=毎週水曜日に更新します

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