駿河台の記者たち⑦

駿河台の記者たち[7]

長瀬千年・作

 

プロローグ

 だから〈湯島〉と聞いて、すぐに思い浮かべたのが湯島天神だった。明治のロマン主義作家、泉鏡花『婦(おんな)系図』と、その後の新派劇で日本中を泣かせたーご存知、お蔦と早瀬力の切ない別れの舞台である。歌謡曲『湯島の白梅』にも歌われている。

「湯島天神も近くにあるんですか」

 と志朗が尋ねようとしたとき、那智さんは今度はくるりと右を向き

「ほら、あの緑青の高いドーム型屋根、あれがニコライ聖堂。 明治中期に建立されたロシア人修道司祭の…」

 遅れてはならじと志朗も

「ええ、知ってます。子供のころ、NHKラジオの〈のど自慢〉でいつも『♪あ~あ/ニコライの鐘が鳴る~』と歌われていた、あのニコライ堂でしょう?」

「うん、そうそう。あちらの湯島聖堂とね、こちらのニコライ聖堂の2つの〈聖〉をつなぐ橋という意味から、大正時代に〈聖橋〉と名付けられたそうだよ。設計者は大胆な放物線を取り入れるデザインが特徴の東大出身の山田守。3年後の東京オリンピックに向け、これから建てる日本武道館も、デザインしたんだって」

 立て板に水のごとく滔々(とうとう)と説明する那智さんをまぶし気に見ながら、 志朗はもはや沈黙して聞くほかなかった。

 ニコライ堂を過ぎると、まもなく右手が中大の大講堂に通じる小路で、そこを横切った右手が中大の正門だ。前庭の奧にコの字型の4層の校舎を従えているのが、10階建ての1号館だ。総長や理事、教授陣らが入っている本部ビルだという。

「このビルが建つ前はね、日本の最後の元老・西園寺公望(さいおんじ・きんもち)の屋數跡だったそうだよ」

 那智さんからいきなり〈ゲンロウ、サイオンジ・キンモチ〉と言われ、志朗は度肝を抜かれた。志朗が心得る大久保彦左衞門らの歴史世界では、ほとんどなじみの無い名前だった。だが元老といえば、明治後半から昭和初期あたりまで、天皇を補佐して首相候補者を推薦する、最大級の人物だというではないか。しかも、西園寺公望自身が首相を2度務めているという。

 恐れ多くも、 そんな人の屋敷跡地に中央大学が建っているなんてー。志朗は大江戸の歴史の大きさに思わず身震いし、もはや中大の数地が狭い云々など、2度と口にすまいと思った。

 2人は1号館内の通路を抜けて、全面舗装の中庭に出た。

「おれ、これから図書館に行くから。1ヵ月後に司法試験受験サークルの入会試験があるので、がんばらなきゃ。 合格できたら、あの4階のサークル室で机と椅子が与えられ、心ゆくまで司法試験の勉強が出来るからね。じゃぁな」

 那智さんは、指差した左側の校舎に消えた。大学図書館はその裏手にある。

 それにしても、大学内に司法試験の勉強をするサークルが存在し、 厳しい入会試験があることを、志朗は初めて知った。考えてみれば、毎年、全国1の司法試験合格者数を誇る中大だ。大学全体のそういう切磋琢磨から生まれる数字だとすれば、合点がいった。

―――つづく=毎週水曜日に更新します

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