駿河台の記者たち⑥

駿河台の記者たち[6]

長瀬千年・作

 

プロローグ

 主婦の友社を左に折れた先が、中央大学である。受験で初めて訪れたとき、志朗は「えっ、こんなに狭く、緑も無いの?」と驚いた。晴れて入学となった今、木々に囲まれた明大を見たあとだけに、その印象は一層強くなった。

 問題はまず、キャンパスの敷地だ。南と北に長さ250メートルほど、東と西に150メートルほどの道路に仕切られた場所が、中央大学の中核である。その北側道路の向こう側に、校舎一棟分の幅のスぺースを持つ。この2つが駿河台校舎の敷地のすべてなのだ。

 中核スペースに建つのは、 戦災を免れた茶系の4層建て校舎が「コ」の字型に3棟。その中央に新しぃ赤茶系の10階建てビル、脇にバロック風図書館が窮屈そうに控えている。四方を建物に囲まれた空間は、全面舗装された中庭である。

 北側の道路向こう西端は大講堂で、その東側は学生生協や自治会などが使用する木造二階建てという感じ。ただ、大講堂の北裏の御茶ノ水駅側に、ホテル風の洒落た7階建てビルが控えている。全国の中大OBが利用する中大会館である。

 志朗はこの日、 学内の窓口を順番に回って学生証を受け取り、必修科目の第一・第二外国語、体育の授業科目などを申請。最後に国鉄の中野―御茶ノ水間の通学定期3ヵ月分を買った。その間に学生服と角帽を扱う店も出ていたが、志朗は立ち寄らなかった。学生服は高校時代の詰襟をそのまま着用するし、角幅は学生の特権意識をひけらかすようで、必要ないと考えたからである。

 実は授業開始2日前に、入学式があった。このときは、郷里の1年先輩で高校の新聞部長でもあった那智さんが、下宿先の東中野から同行してくれた。彼は同じ中大の法学部法律学科2年生で、早くも司法試験をめざし、4月早々から大学の図書館でせっせと勉強をしている。

 2人はこの日、御茶ノ水駅ホーム前方の階段を上り、聖(ひじり)橋口の改札口に出た。目の前の幅広い聖橋通りを右に下ると、中大の正門に出るもう一つの道路だ。那智さんは中大とは反対の、左の聖橋方向を見て言った。

「橋の向こう側が湯島。すぐ先のこんもりした一角、あれが湯島聖堂だよ。元禄時代に5代将軍綱吉が建てた孔子廟だね。その後、幕府直営の漢学の学校、昌平黌(しょうへいこう)が設けられた。いわば、いまの東京大学の先祖のひとつというところかな」

 へえー。那智さんの〈湯島聖堂〉の説明によどみはなく、端的明瞭だった。だが、志期にはなぜか物足りない。 何だろう。そうか、湯島と来れば、何と言つても江戸の総鎮守〈湯島天神〉ではないか、と思ったのだ。

 確かに、端正な顔立ちで秀才型の那智さんは、湯島の代表として真っ先に、 幕府のご威光を得た湯島聖堂を挙げた。しかし志朗の場合、同じ幕府でもナンバーワンではなく、天下のご意見番の大久保彦左衛門であるし、庶民を代表する平次親分や一心太助である。

―――つづく=毎週水曜日に更新します

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