駿河台の記者たち⑤

駿河台の記者たち[5]

長瀬千年・作

 

プロローグ

 ともあれ上京した志朗は、中野の民家の2階に間借りする兄美津男と同居することになった。 兄が勤める主婦の友社も神田駿河台にある。だから志朗は、入学準備の諸手続きのため大学を訪れた1週間前、出勤する兄と連れ立って中野を出た。

 国鉄御茶ノ水駅の改札口は2つある。その朝は新宿寄りのホーム後方階段を上って、兄がいつも使う御茶ノ水橋口に出た。 駅舎のすぐ前が、神田川と国鉄線路を跨ぐその橋だ。

「この川の右側が文京区、左側が千代田区。右のあの白いビルが、東京医科歯科大学と病院。その奥が順天堂大学医学部で、その先に束京大学がある」

 自らを物知りと自認して教えたがる兄は、橋の上で志朗にまずは周辺の基本的な地理を説明した。

 へえー、東大も近いのか。志朗は中学の修学旅行で初めて束京に来て、東大〈赤門〉前の旅館に宿泊した往時を懐かしく思い出した。

「実はな、その昔、神田川は無かったんだ。もともとは北側の本郷台と、南側の駿河台は、地続きの神田山と呼ばれていた。徳川の2代将軍のころ、水害防止用に神田川放水路を掘削、江戸城の外濠も兼ねたんだ。そのとき、いまの地形に変わったんだよ」

 なるほど、そうだったのか。江戸の初期にわざわざ川を掘り、 現代になってその川沿いの崖地に線路を敷いたのか。志朗がこれまで抱いていた、御茶ノ水駅付近の特異な地形の謎が、兄の説明ですべて氷解できた。

 教えたがり屋の兄の説明は続く。

「駿河台という地名はな、放水路が出来たあと駿河、つまり静岡出身の徳川家家臣が多く住むようになった。だから、駿河台と呼ばれるようになったんだ」

 なるほど、なるほど。兄の説明は分かりやすい。それにしても、 兄はいつこのような雑学を調べておくのだろうか。志朗は少し驚いたまなざしで、兄の顔を見直した。 2人は左手の千代田区駿河台側に折れた。 幅広い明大通りの緩やかな坂を下ると、木々の間にバロック風の古い茶色の学舎が現われた。明治大学である。

「♪白雲なびく/駿河台~」

 志朗の頭のなかで、凛々しい明大の校歌が蘇った。子供のころから、ス・ル・ガ・ダ・イの響きにあこがれてきた志朗である。テレビの東京六大学野球で明大の校歌を知り、雑誌の付録の歌謡曲集で歌詞を覚えた。

 ただ、志朗はまだ中大の校歌を知らない。どんな歌詞なのか。どんな形で〈駿河台〉の文言が盛り込まれているのか、いないのか。もし盛り込まれていないのなら、明大に入学したほうが良かったかもしれない、 と志朗はわずかに後悔の念を抱いた。

 そんな志朗の頭のなかの様子などあずかり知らない兄は

「明大の周辺に日本大学、その奥に専修大学が控え、共立女子大もあるな」
と、大学名を並べた。

 その瞬間、志朗は中大の校歌のことなどすぐ忘れた。そうか、文京区側の束京医科歯科大や東大も含め、御茶ノ水駅が日本の一大学生街を抱える駅と呼ばれるゆえんだなぁ、と納得した。主婦の友社は明大正門の向かいだ。兄は明大通りの下り坂が終わる方向を指差した。

「ほら、都電の走っているあの交差点が駿河台下。その一帯が神田神保町で、古書や学術書などの本屋でびっしりなんや。大手の岩波書店や小学館、有名な筑摩書房や河出畫房、 中小出版社も軒を並べている」

 兄によると、 その交差点を真っすぐ行くと皇居の濠、皇居の向こう側が国会議事堂だという。駿河台下交差点の左手が、東京駅と銀座一帯へ続く。周辺の地理をひと通り説明した兄は、役割を終えたという顔で、主婦の友社の玄関入り口の階段を上って消えた。

―――つづく=毎週水曜日に更新します

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