駿河台の記者たち①

駿河台の記者たち[1]

長瀬千年・作

 

 かつて中央大学は、東京・神田駿河台にあった。この物語は1960~65年ころ、中央大学新聞学会の記者たちが、学内外とどう関わって活動したか、終戦からほど近い東京を投影して綴った創作である。

アプローチ

「まもなく御茶ノ水~」

 国鉄中央線の中野駅でオレンジ色の東京行き快速電車に乗り込んだ流志朗(ながれ・しろう)は、車掌がアナウンスしたく御茶ノ水〉の響きに、得も知れぬ幸せを感じた。高校まで過ごした岐阜県から東京の大学に進んで、 この日からいよいよ授業開始。天にも昇る夢心地で学生生活を始めたばかりなので、当然かも知れない。

 だからか、朝のラッシュ時のぎゅう詰め電車の中なのに、しかもどの乗客も怒りに満ちているか、息も絶えだえのへタリ顔なのに、志朗だけはトイレの100ワット電球のように明るい。なぜ?と街頭インタビュー風にマイクを向けられれば、志朗は「だって、大東京だからこそ体験できる超満員電車ですから」と、素っ頓狂に答えるかもしれない。

 志朗の場合、物事の捉え方が総じて明るくて前向き。裏を返せば、〈単細胞〉とも、く短絡的〉とも言える。

 ともあれ、そういう志朗だから、駅名のく御茶ノ水> と聞いて、とっさに〈お茶の水博士〉を連想するのだ。 お茶の水博士とは、子供のころ夢中で読んだ、手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』に出てくる、あの博士である。

 確かに志朗の脳の回路は、他人よりちょっと風変わりなようだ。たとえば、おや?と心を動かされる名称に出会ったとき、志朗はそれまで頭のなかで蓄積した同じ音声の名称を求め、 結びつけたがるのである。

 まだ小学校に上がる前、居間で洋裁をしていた母親が「鯨尺」と口にした。それを聞いた志朗は、幼いながらもくクジラ〉の思考回路をめぐらせ、動物の絵本で見て覚えた〈鯨〉にたどり着いた。えっ、でも、この竹製の物差しが本当に海で泳ぐの? 志朗はそのあと、しばらく真劍に頭を悩ました。

 絵本で〈いなばの自うさぎ〉を知ったときも、そうだ。隠岐島の白兎(うさぎ)が鰐鮫(わに)をだまして因幡(いなばの)国に渡り、丸裸にされて苦しめられているところを、出雲国の主神大黒主命(おおくにぬしのみこと)に助けられる神話である。

 もちろん幼い志朗は、因幡国が現代の鳥取県東部と知る由もない。理解できるのは〈いなば〉という音韻だけである。頭のなかでイナバ?イナバ?と思考をめぐらし、正月に親たちと参拝したことのある、地元の伊奈波神社と結びつけた。ここが〈いなばの白うさぎ〉の舞台だ、と幼い志朗は確信した。

 だが岐阜は海無し県だから、兎が丸裸にされた肝心の海辺が無い。ヘンだと思ったら、自らの思い違いに気づいて、思考回路を変更するのが普通だが、思い込んだらどこまでもの志朗は、簡単には退却できない。なぜ伊奈波神社に海が無いのか、またしばらく頭を悩ました。

 18歳になっても、〈御茶ノ水駅〉の音韻から〈お茶の水博士〉を手繰り寄せる志朗だから、その頭のなかでは一気に鉄腕アトムの世界が広がった。まるでアトムを引き連れたお茶の水博士が、 ホームで手を振って志朗たちを出迎えてくれるーそんな夢想の心地良さであった。

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