宗教探訪 高幡不動尊

重要文化財 不動三尊

 日本にある様々な施設を訪れ、宗教に関する知識を深めようという趣旨で始まった「宗教探訪」。

 前回の「日本ハリストス正教会」に続き、今回は本学の学生にも馴染み深い、「高幡不動尊」こと「高幡山明王院金剛寺」にお伺いした。

 以下にその模様をお伝えしたい。

―高幡不動尊での行事に関して、檀家や信者以外でも参加出来るものは。
「初詣でから始まる全ての行事について、檀家や信者以外の方でも参加が可能です。たとえキリスト教徒であっても、参加して貰うことに問題は有りません。ただし、規律だけは守って貰わなければなりませんね」

―年中行事の中で、一番重要だと考えているものは。
「我々が一番重要だと考えているのは、『護摩』です。護摩とは、不動明王の『智慧の火』を以て私達の煩悩を焼き尽くすという密教の儀式であり、高幡山では年間に二千回以上も修法されています。平日の五回、土日の六回に加え、縁日には八回から九回、また元日には十八回ほど行っていますが、この護摩にはどなたでも参加することが出来ます」

―高幡不動尊は、その名の通り『不動明王』を本尊にしているそうだが。
「観音様は優しさを以て、また不動明王は厳しさを以て、人々を救います。不動明王は煩悩で固まった人々を左手の慈悲の縄で引き寄せ、右手の剣でその間違った考えを突き破り、正しい目を開かせるのです。更に、不動明王の後ろにある炎は、全ての煩悩を焼き尽くして私達を平穏な境地に導いてくれます。つまり不動明王の御姿は、全ての人を救うという素晴らしい力を表したものなのです。それに、不動明王は右目をカッと見開いているのですが、これは智慧の目を意味しており、また左目は下を向いてすぼめているのですが、これは迷っている人々を救おうとする慈悲の目なのです。それから、額には皺が刻まれていますが、これは煩悩に悩む人々を『何とかして救ってあげたい』といった御心を表しています。ですから、不動明王の『怒りの御姿』そのものが、お釈迦様の教えである智慧と慈悲とを象徴しているのです。因みに、こうした不動明王や観音様に代表される教えが『現世利益』なのですが、この現世利益とは私達の限りある一生を有意義なものにする為の教えなのです」

―室町時代には「汗かき不動」と呼ばれていたそうだが、その由来は。
「そもそも当時の不動堂は、現在の境内地から見て西南の方角にある山裾に位置していました。ところが鎌倉時代から室町時代へと移る建武二年八月四日、高幡不動尊は大風に襲われ、その際に大木がお堂を押し潰してしまったのです。この被害に遭遇した儀海さんという当時の住職は、その後に七年の歳月を掛けて、不動尊のお堂を風の当らない現在地へと移しました。そのお堂が現在の不動堂であり、東京都最古の文化財建造物にもなっています。また、この時に不動明王像も胸と腹を中心に修理し、更に全身の漆も塗り替えたのですが、これが光を浴びると反射してあたかも不動明王が『汗』を掻いている様に見えたそうです。この事が、戦勝祈願の為にお参りに来た武将の間で、『不動明王が全身に汗を搔いて、お願いを聞いて下さる』という話になって広まり、やがて高幡不動尊の不動明王は『汗かき不動』と呼ばれる様になった、と伝えられています」

―昭和三十年以降、宗教施設の再建が進んだ理由は。
「高幡不動尊は真言宗智山派の中でも、最も歴史のあるお寺の一つです。しかし先ほども申しましたように、建武の大風では甚大な被害を受けましたし、江戸時代の『安永八年の大火』でも大日堂、大師堂、聖天堂を含む多くの建物が全焼してしまいました。その後、寛政九年には大日堂が建ちましたが、明治の神仏分離令では大変な苦難を強いられる事となり、焼失してしまった建物の再建も中々進まなかったのです。しかし先代の住職が、安永の大火で焼失した伽藍を自分の一生の間に全て復元しようと心に決め、懸命に努力をされて殆どの建物を再建なさいました。更に、先代が住職となってから満五十年目の昭和五十五年には五重塔を建立しました。このように、境内の整備が進んだのは、先代の住職が大変な努力をして下さった御蔭なのです」

―高幡不動尊は真言宗智山派の「別格本山」だそうだが、実際にはどのような権威があるのか。
「もともとは徳川時代の寺檀制度がきっかけで、『大本山』や『別格本山』といった一種の格づけがされました。それが明治時代になると、神仏分離によって合同真言宗の結成に至るのですが、考え方の違いなどからやがて分裂してしまいます。そして、分裂した勢力のうち智山派は、智積院を総本山に、また成田山、川崎大師、高尾山を大本山とし、更に高幡不動尊と大須観音宝生院とを別格本山に位置づけて、その下に三千ものお寺を束ねる事となりました。ですから、高幡不動尊は智山派に於いて指導的な地位にあります。特に昭和二十年までは、関係寺院の住職任免や諸事業の施工に大きな発言権がありましたので、自然と高幡不動尊の影響力も大きいものになっていました。他の宗派、例えば高野山真言宗の場合には別格本山が多数ありますので、その権威が名ばかりのものとなっている場合もありますが、こうした寺格を有する寺院は智山派に於いては五つのみと、限られた存在になっています。
高幡不動尊は、その歴史や文化財、年間の参詣者数、それに山内の堂塔伽藍などに鑑みれば、他の宗派に於ける大本山クラスのお寺と言う事が出来るでしょう。こうした事もあり、高幡不動尊は一般の人から、一目も二目も置かれる存在となっています」

―高幡不動尊に於いて、真言宗の教えはどのように反映されているのか。
「真言宗の御本尊である大日如来様は、宇宙の実相を仏様の姿で現した根本仏であり、宇宙そのものでもあります。そして、その如来様と一体になる事こそが、真言宗の教えです。その為に真言宗では、自然との共生が非常に大切であると教えられています。ご存知の通り高幡不動尊は東京都心に近く、境内は三万坪余りもある大規模で自然豊かなお寺です。皆さんには、こうした高幡の自然に親しみ、自然と一つになって欲しいと思います。先代の住職は私達に、『なまじっかな説法をするよりも境内を綺麗にして、お参りに来られた方々から心がすっきりしたと言って貰えるようなお寺にする事が、本当の説法なのだ』と教えて下さいました。ですから、皆さんにも一年中楽しんで貰えて、かつ命の洗濯もして貰えるようなお寺にする事こそが、真言宗の教えそのものであり僧侶のつとめでもあると思っています」

―真言宗ではかつて、東寺と高野山との間に本末争いがあったと聞くが、高幡不動尊に影響は。
「高幡不動尊は、両山の本末争いには一切関係がありませんでした。何故かと言いますと、高幡不動尊は鎌倉時代以降、真言宗のお寺として続いていますが、平安時代前期に建立された当時は、天台宗系のお寺であった可能性が高いからです。日本一と言われ重要文化財にもなっている高幡の不動明王像は、古来より弘法大師様のお作と伝承されていますが、その御姿は弘法大師様が請来した不動明王の御姿とは幾分異なっています。こちらに伝わるものは不動十九観に則っているのですが、このような形式の不動明王は、天台宗系の寺院に多く見られるものです。また、高幡不動尊が所蔵し重要文化財にもなっている『文永の鰐口』の銘文には、『右当寺を尋ねれば慈覚大師の建立 清和天皇御願所 第二の建立は平円、陽成天皇』と刻まれていますので、やはり天台宗のお寺であった事は間違いないでしょう。ですから、平安時代に起こった両山の本末争いには、巻き込まれる事がなかったのです」

―高幡不動尊について広く知って貰いたい事は。
「先程も申しましたように、我々は皆さんにいつでも気軽に足を運んで貰う事が出来て、更に命の洗濯をして貰えるお寺であろうとする事が一番だと思っています。そのために一年を通して、法話会や写経会、それに見学会をはじめ、非常に多くの行事を行っているのです。また様々な相談事も受けていますが、時には嫁姑の問題などをお聞きする事もありますよ。そういった悩みを一通り聞いてあげますと、『今日はお坊さんに日頃の鬱憤を全部聞いて貰って、心が晴れ晴れとした』とにこやかにお帰りになられます。人々の心を穏やかなものとする事が出来る『悩み相談』も、高幡不動尊の特徴だと思いますね。
 また、高幡不動尊は様々な要素を持っているお寺でもあります。そのため、文化財から興味を持って貰っても結構ですし、宗教行事からでも、或いは豊かな自然からでも構いません。本当に仏教の勉強をしたいという方がいれば、それなりの応対も可能です」

―昨今では『葬式仏教』などと揶揄される仏教だが、これについてどう思うか。
「確かに『葬式仏教』という言われ方をされる事もありますが、そもそもお釈迦様は『葬儀などには一切関わってはいけない』と言われました。これに対し、葬儀という意味合いではないのですが、お釈迦様がお亡くなりになった後、お釈迦様のお徳を慕う人達が、お釈迦様のご遺骨、つまり仏舎利を八つに分けて各地に埋葬しました。その後、アショカ王がその仏舎利を何百にも分けて、各地に舎利塔を造立されました。その仏舎利は今でも東南アジア各地に見られます。もちろん日本の仏塔もお釈迦様の仏舎利をまつる施設ですが、高幡の五重塔にはスリランカの国王様からいただいた仏舎利が奉安されています。このように、やはり亡くなった人をただ放り出してはいけないと思うのは、人間にとって自然の感情だと思います。お釈迦様は出家者が葬式に関わる事を戒められましたが、日本でも鎌倉時代になると、お坊さんは民衆からお願いされて、葬式にも自然と関わるようになりました。その後、江戸時代に寺檀制度が成立した事により、そうした習慣がなかった地域などでも仏式葬が行われるようになったのです。死者を弔いたいと思う事は人間の自然な感情の一つですから、神道でもキリスト教でも、どの宗教であっても葬儀に関わっていますよね。葬式仏教などと言われてはいますが、亡くなった方の思い出になるような供養の仕方は、必要なのだと思います」

―大学生にメッセージを。
「実は、私は携帯電話すら持たされておりません。恐らく、『携帯を持たせたら色々指示を出してくるだろうから、うるさくなって困る』と思われているのでしょうね(笑)。私も皆さんがよく使っている携帯電話をはじめ、パソコンやスマートフォンは大変便利なものだろうと思います。しかし、自分の行為や思いというものは、自分の声で音として話し、また自分の手で文字に書いてしっかりと脳に刻み込むという動作をする事が、大切だと思います。それに、そうする事こそが、本当に物事を自分のものにする事なのだと私は感じます。パソコンなどを使ってはいけないという事ではないのですが、例えば自分の手を動かして実際に手紙を書いてみたり、友達と話しを直接してみたりといった事が、非常に大切なのだと思いますね」

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