西暦?和暦?

卒業証書・学位記


 去る三月、我が新聞学会からも二人の先輩が卒業した。彼らは揃いも揃ってヘンテコリンであった為、「漸く部室がスッキリしたぜ!」と思っていたのだが、見せて貰った学位記には、ちょっとばかり気になる点があった。そこで皆さんにも少々、考えてみて欲しいと思う。

 私が「むむむ?」と思ったのは、書字方向と年月日の表記である。「書字方向」とは「字を書く方向」、要するに縦書きか横書きかという事だが、先輩たちの学位記は横書きとなっていた。またそこには授与日などの表記もある訳だが、使用されていたのは算用数字かつ西暦だったのである。これは一体、何事なのか。日本の文書は「縦書き、元号、漢数字」が原則では無かったのか。

 中でも私が最も不思議だったのは、なぜ日本の準公的文書たる学位記に、キリスト紀元の西暦を平気な顔で書けるのかという事だ。各国には各国なりの歴史が有り、キリスト紀元の所もあれば、イスラーム紀元やユダヤ紀元の所だってあるし、仏滅紀元の所だって存在する。しかし世界のどこに、その国には謂われの無い暦を公に使う国があろう。暦は主としてその国の宗教に起源を持ち、それが物語られる事で歴史となる。これはフランス語の「Histoire」が、「歴史」と共に「物語」という意味を持つ事からも明らかだろう。

 話を戻すが、日本には「昭和」や「平成」といった「元号」の他に、初代天皇たる神武天皇に起源を発した「神武暦」も存在する。これは余り聞き慣れないかもしれないが、例えば日本の戦闘機だった「零戦」の「零」も昭和十五年、即ち神武暦二六〇〇年の採用である事に因み、その下二桁を取って名付けたものだ。

 個人的には「宗教」と言うよりインドのウパニシャッド哲学等に近しいと思うのだが、何れにせよ日本には古来より「神道」が存在し、その祭祀王たる天皇に由来する暦法もある。それを蔑ろにするのなら、そんな国に未来など無いだろうし、そこに現前するのは空虚な物質文明の再来だけだ。
何だか偉そうな事を言ってしまったが、大学当局の方々、ちょっと考えてはみませんか。  (進)

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