宗教探訪 日本ハリストス正教会

ニコライ堂

 
 先行きの不透明な現代社会に於いて、人々は何に縋りまた何を頼りとして生きていけば良いのか・・・。そんな人生の「ぼんやりとした不安」に対して、何かしらの答えを教えてくれる存在の一つであろう宗教を取り上げる「宗教探訪」の本コーナーでは、前回の「東京モスク」こと「東京ジャーミイ・ワクフ」取材に続いて、「ニコライ堂」こと「東京復活大聖堂」で知られる日本ハリストス正教会へお伺いした。以下にその模様をお伝えしたい。

―現在の日本には、「日本正教会」の他に、ロシア正教会系の「駐日ポトヴォリエ」もありますが、両者の関係は。
「駐日ポトヴォリエは、ロシア正教会の大使館といった位置づけです。独立正教会や自治正教会、それに修道院がポトヴォリエという組織を作り、大使館のような業務を担ったり、修道院での生産品を販売したり、また人里離れた修道院では新規入会希望者の世話をしたりします。ちなみに、日本にはロシア正教会のポトヴォリエしかありませんが、こうした状況の方が珍しいのです。理論上は、ギリシア正教会やルーマニア正教会のポトヴォリエが日本にあってもおかしくありません。しかし、ポトヴォリエを置くに当たっては、その国の人間が一定数いないと余りメリットも無いということなどから、今のところは日本にポトヴォリエを置くメリットがあるロシア正教会のみが存在しているのです。
尤も、宗教が弾圧されていたソ連時代には、母教会たるロシア正教会と、姉妹関係に当たるアメリカ正教会とのどちらに付くかということで、日本正教会でも意見が割れていました。その当時は日本正教会とポトヴォリエとの間にも見解の相違があったのですが、現在ではそれも昔の話になっています」

―日本正教会では、正教会にとって他宗教である神道に於いて祭祀王としての性格を有している、 天皇のためにも祈っているそうですが。
「教会内での意見は千差万別ですが、なぜ 天皇のために、そして『国を司る人』のためにも祈るのかと言いますと、新約聖書の中に『皇帝の為に祈りなさい』と書いてあるからです。この『皇帝』とは、当時は異教徒であったローマ皇帝を指します。ローマ皇帝の称号の中には『最高神祇官』というものも含まれていたのですが、要するにローマ皇帝は異教の祭司長でもあったのです。
実は『ローマ皇帝』という称号は、初期帝政の時代にはありませんでした。護民官特権や、最高神祇官、プリンチェプス、それにインペラートルなど、様々な職分や権威、そして権力を複合していった結果としてアウグストゥスという権威が形成され、『ローマ皇帝』が誕生したのです。ですから、『皇帝』という称号は、正教にとっては異教の宗教に於ける『最高神祇官』から始まったと言っても過言ではありません。またローマ皇帝は死後、余程の暴君でない限り彼らの宗教に於いて神格化される存在でもあります。
以上のことを踏まえますと、新約聖書に於ける『皇帝の為に祈りなさい』という言葉は、異教に於いて神格化されていく人物、そして異教の最高神祇官である祭司長の為にも祈りなさい、という言葉と同義であるのです。そのような性質を考えますと、敢えて語弊を恐れずに言えばローマ皇帝と 天皇との間に大差はありません。勿論、ローマ帝国やローマ共和制のように 天皇は実際に政治を行ってはいませんし、神道に於ける最高の神官であると言っても神々の子孫であって、血統上の保証がないユリウス・カエサルなどとも多少の違いはあるのですが、少なくとも祭司長や異教徒、そして最高権威者であるという点に於いて、ローマ皇帝とは大差がないと言っても差し支えは無いでしょう。ですから、新約聖書に『皇帝の為に祈りなさい』という言葉があるように、異教の最高神祇官である 天皇の為にお祈りすることは、些かの問題もありません」

―他宗派との関係は。
「実は私は、プロテスタントの牧師である父の下で育ちましたので、それを踏まえてお話しします。他宗派であっても、父と子と聖神、正教では聖霊のことを聖神と言いますが、これらの名によって洗礼を受けていれば、その洗礼はどこでも有効であると見なされます。しかし、例えばローマカトリックの信者がこちらの教会に来て、御聖体であるパンと葡萄酒とを口に出来るかと言うと、それは不可能です。 
時々、他宗派との違いは大きくないと言う方がいますが、見た目は勿論、組織も違いますし教えの内容も相当異なります。同じキリスト教ではありますが、少なくとも私からは小さくない違いがあると思いますね」

―正教の信者数が、ソ連崩壊後に回復しているそうですが。
「信仰者として答えれば、正教の教えが本物の信仰であるからこそ、神様が助けて下さっているのだと思います。但し現状として、洗礼を受けた信者数が急激に拡大したとは言っても、内実は大変残念ながらまだまだ不十分です。西ヨーロッパに比べて活動が活発ではありますが、月に一度は教会に行きましょうという呼び掛けがあるにも拘らず、それを実行しない人も多くいます。また、信者の意識が低いことも問題です。私は2年前にロシア最大の修道院に勤労しながら滞在していましたが、街の人にそのことを告げたところ、非常に薄い反応が返って来ました。日本で例えるなら、伊勢神宮の門前町のような場所で『私は外国人ですが、神道の神官になる修行をしています』と言っているようなものなのに、ほとんど関心は無さそうでしたね(笑)。その時、ソ連時代の傷跡はまだまだ残っているのだなあと感じました。日本人の学者が『ロシア正教は国家と癒着している』などと言いますが、それは正しくありません。例えばクレムリンの中には、かつて非常に神聖であると考えられていた聖堂がいくつかあるのですが、現在は修道士さえ居らず、完全に観光地化されています。また、作法を知っている正教信者であれば、必ず十字を切って聖堂に入るのですが、そのような決まりを守って聖堂に入って行ったのは、日本人である私だけでした。周囲のロシア人は誰一人として、十字を切るなどということはしなかったのです。ですから、正教が大復活をしているのか言うと、残念ながらまだ中身を伴っている次元では無いと思います。尤も、聖歌の質は向上していますし、修道士の数も増えて、伝統が復興している面もあります。しかし、ロシアという国全体に於いて復活を遂げたとは思えません。これは、日本人司祭の一見解ではなく、ロシア正教会の毎年の公会でも言われることです。聖職者である私たちは、信者への指導はまだ不足していると感じていますし、切迫した危機感も持っています」

―一般の日本人に知って貰いたいことは。
「まず、正教は特定の国や民族の為のものではありません。ロシアだけではなく、ギリシアや東欧、そして中東にも教会があります。ロシア人の為の教会でもなければ、東欧や中東の土着のキリスト教でもありません。日本人の皆さんにも門戸を開いている教会なのです。また毎週日曜日には、聖体礼儀という聖なる食事のお祈りをしています。これは教会にとって一番大事な食事です。聖なる食卓を中心にしている教会を一度見に来て下さい。正教会は、そこから始まるのです」

―若者へメッセージを。
「特に研究者の方に申し上げたいのですが、正教会と西方教会とは、教えがかなり違います。そして、西欧米の社会システムについて考えた時に、安易にキリスト教由来であると断定しないで貰いたいと思います。西欧米には存在していても、正教会にはそのようなシステムが欠片もないということがよくあります。良いものも悪いものも全てキリスト教由来であると言う人がいますが、そのような見方は単純に過ぎますので、気を付けてください。もしキリスト教由来であると断言できるのであれば、正教圏の国々にもそのシステムや社会問題が無ければおかしいのです。
例えば、正教では聖伝の中で一番大切なものが聖書です。他方、ローマカトリックは聖伝と聖書とが等しく大事であり、等しく尊敬すると明記しました。またプロテスタントは人によって温度差はありますが、基本的には聖書のみを重んじます。こうした違いはありますが、しかし何れの考え方を取るにしても、聖書や聖伝、教会由来の社会システムや社会問題が発生していると論じるのであれば、どの宗派の国でも同じ現象が見られなければおかしいと言えるでしょう。西欧の社会システムはキリスト教由来と言うよりも、ローマ法やゲルマン慣習法、それからケルト文化の影響を受けていることの方が多いと思いますね。ですから、安易にキリスト教由来と言うのではなく、正教の世界もしっかり見て、チェックするという習慣を身につけて欲しいと思います」(谷・進)

Comments are closed.