中央大学で教鞭を取る先生方にお話を伺う教員名鑑。今回は、国際法などを講義されている、法学部の折田正樹教授に取材をお願いした。(谷・進)
―ご専門は。
「学部、大学院、法科大学院の3ヶ所で、国際法や国際交渉を教えています。また、ゼミでは外交官の経験を活かし、国際政治も教えていますね」
―教授となった理由は。
「元外交官で、退官後に中大で教鞭を執った柳井俊二先生に、後継役を依頼されたのが契機です。若者に国際的な感覚を伝えたいと思い、引き受ける事にしました」
―先生の大学生時代は。
「我々が大学生だった頃は、かなり自由度が高かったです。今は何から何まできっちりしていますよね。私の学生も、『必修科目が多すぎて大変』と言っていました。私自身は東大に行ったのですが、色々な科目を履修できましたし極めて自由でした。勿論、授業を休む事もね(笑)。ですので、今はかなり厳格だと感じます。ある意味では良い事かもしれませんが、学生の自主性を尊重しても良いと思いますね」
―教師として、大事だと考えていることは何か。
「私は『ORITAの視点』というものを唱えています。Oは大きな視点。Rは歴史的な視点から、立体的に考える。Iは数字の1でもありますから、一次資料にあたり自分の考えを持ちましょう。Tは他人や他のグループに属する人の意見を考える。Aは明るい明日を目指して新たな提案をしましょう、というものです。
また、一人よがりはいけません。自分がガラパゴス症候群になっていないか、確かめて下さい。ガラパゴス諸島に住む生物は『自己満足の世界』に生きており、一歩外に出れば死んでしまうのです。要は、一つの世界に閉じこもっている事は幸せではありますが、それではいけない、という事ですね。外の世界にも目を向ける事が大切です」
―外交官志望の動機は。
「私は1964年の試験に合格し外務省へ入りました。この年には東京オリンピックもあり、日本が世界の中で良い国になって来た時でした。しかし戦争の記憶があり、日本だけで生きている訳でもなく、これからは日本としてやるべき事があると思いました。その中で外交は重要だと感じましたし、日本の為に働きたいという気持ちがあったので、外交官を志しました」
―外交官の職責とは。
「日本にはエネルギーや資源、食料もなく、単独では生きていけない国です。外国との関係性の中で、今日まで生きて来ました。それにも拘らず、『日本だけで生きていける』という錯覚に陥っている人が多い気がしますね。どの様な職業に就くとしても同じですが、特に外交官を志す人には、どうやって他国との関係を築くか考えながら、日本の安全や繁栄を守る為に頑張ろうという気概を持って欲しいです。外交官と聞くとパーティーなどをイメージするかと思いますが、実はとても大変な仕事です。紛争地に行く事も、時には命を落とす事もありますので、覚悟が必要ですし肝が据わっていないと務まりません。それから、コミュニケーション能力のある人が好ましいですね。日本の外に出れば空気を読む文化もなく、言葉にしないと通じない為です」
―現在の外交について。
「日本の立ち位置をしっかり判断し、それをわきまえて行動すべきと思います。また、『日本が世界の中で小さくなってしまった』という論調もありますが、日本は決して弱い国ではないのです。例えば、日本は安保理の常任理事国になれませんでしたが、新聞などには『日本が何を言っても入れないのだから、無理をして入ることはない。余計な事はすべきでない』と自虐的に書かれていました。しかし、それはおかしいと思うのです。今や安保理では、理事国数を20や25に変更しようという話が出ていますが、その中に日本が入れないのは有り得ない事です。世界的にも日本の安保理加盟を認める国は多いのですが、こうした事実を日本人は知りませんよね。『日本は良いが、ドイツは嫌だ』という国もありますし、複雑な問題なのです。単に日本が嫌われて反対されている、というのは認識不足です」
―中大生に一言。
「グローバル人材に育って欲しいですね。現在は『グローバル人材』が大学の目標にもなっていますが、単なるスローガンで終わらぬよう頑張って貰いたいです。各々の専門だけに捕らわれず、ガラパゴス症候群にならずに、外界がどうなっているかを絶えず考える人間になる事を望みます」