”人間総合理工学科”設立決定

 さて、このたび我等が中央大学に、新学科が設立される運びとなった。

 現在、大学には、文系のキャンパスである多摩(正式には八王子である)キャンパスと、理系のキャンパスである後楽園キャンパスの二つがある。それぞれ、多摩キャンパスが法、商、文、経済、総合政策の5学部26学科(専攻を学科に含む)と、後楽園キャンパスが理工の1学部9学科という構成だ。

 今回、学科新設が決まった後楽園キャンパスには前述のとおり理工学部があり、その理工学部に新設される新学科の名前は「人間総合理工学科」である。その名前から私が判断するに、人間の関わる全ての事象を数学的な観点から包括的に捉える、といった学科であるように見受けられる。

「文系理系の別を問わないグローバル化と震災後の活力を創り出していく中で、地域行政など、従来は『文系』と考えられてきた分野が高度化・複雑化しており、新たに『理系』の人材が強く求められています。
中央大学『人間総合理工学科』は、これまでの『ものづくり』とはひと味ちがった、『ひと』を探究するための学科です。(注、執筆者により適宜抜粋)」
大学当局の公式ホームページによると、新学科については以上のように紹介されており、これはつまり、震災後の日本の為に、文理の学術的な枠を超えて対応していこうというものである。

 一方、学生選抜の入試に際しては、一般試験と、センター併願試験、センター単独試験の三つで受験することができ、それぞれ理科が「必須」である。そのことから鑑みるに、英語・国語・地歴公民での入試を主とするいわゆる「私立文系」の学生に対しての門戸は開かれていないと解釈できよう。
 
 だが、これに対して私は、少々腑に落ちない思いでいる。というのも、例えば、都内の私立大学の「人間総合」とつく学部や学科には、私立文系用の試験スタイルが用意されている。それに対して、中央大学の「人間総合」にそのスタイルがないため、奇異であると言わざるをえない。

 確かに、その後の文言には「理系」の人材が云々とあるが、その大学当局の意図は「文系」の学生に対しても言うことができるため、特段理系に限る必要はないだろう。即ち、大学当局の「文系理系の別を問わ」ないという意図に照合するならば、この「別を問わ」ない、という文言は修正する必要があり、文系、特に私立文系の学生にも門戸を開放することは必須であると思うのだ。

 しかし、理系に対する学びの門戸が拡張されたことは注目すべき点である。なぜならば、この新学科設立をきっかけとして、理系に対する偏見の解消や、経済、語学、行政などという文系の学問分野とされてきたものに対し、理系的アプローチを図ることによって、中央大学からまさに、総合的に学問を修めて社会で活躍出来る「ゼネラリスト」輩出を可能たらしめるからだ。現実に即した例を挙げるならば、現在の政界には、理系の大学や大学院出身の方々が多いことからも、文系理系というくくり抜きに、多様性を持つ人間が社会で求められていることは明らかだろう。その現実に対応する運びとなるであろうこの新学科は、現実社会のニーズに即したものであると言える。

 その結果、当大学から世界に羽ばたく、日本で輝く社会人輩出に寄与することは間違いない。

 以上を踏まえると、確かに、伝統ある中央大学が、現在の社会へ柔軟に対応することとなる「新学科設立」に踏み切ったことは評価出来るだろう。
しかしその一方で、試験体系は見直す必要がある。そこを矯正することが出来たならば、まさに「学問の敷居を超えた」価値ある革新的な学科として、後世にも残るだけでなく、現在の法学部に並ぶ新たな中央大学の看板になると言えるだろう。(蓮)

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