被爆地の夏

 「昭和20年8月9日午前11時2分」。これが何か、皆さんはお分かりだろうか。多くの人は、ここに「ナガサキ」という文字を加えれば、「ああ、原爆ね」と気づくだろう。

 この夏、故郷の長崎に戻った私は、数年ぶりに「式典」へと足を運んだ。長崎で8月に「式典」といえば、「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」を指すのである。今年の式典で特筆すべきは、在日米国大使館からジェームス・ズムワルト首席公使が出席した事だ。これは、原爆投下国のアメリカからは初となる参列である。

 式典では黙祷前に、例年どおり原爆死没者名簿の奉安が行われた。これには、去年の8月2日から本年の7月末までに死亡が確認された、3288名の方の氏名が記されている。これにより、原爆死没者名簿登載者数は15万5546人となった。
 寝起きの悪さでは他人の追随を許さぬ私だが、当日は血ヘドの出る思いをしながら早起きして式典会場に向かい、日頃のスポーティーな大学生活によって見事に劣化した足腰で、虫の息になりながら会場前の階段を昇り、黙祷時刻の一時間前に入口へと辿り着いた。だが、会場は既に満員で式典の様子を窺い知る事も出来ず、思わず「放射能をうつしちゃうぞ」と思った気がする。酷使したせいでプルプルと震える足を持て余しながら立ち続け、時に観光気分全開の外国人を「この毛唐どもがっ」と心の中で罵りつつ、11時2分、黙祷を捧げた。
 被爆地に生まれ、爆死した人間を親族に持ち、被爆三世でもある私は、原爆死没者を悼みながら日本の核武装を望んでいる。私にとって、これは矛盾しない。よく、「日本の核武装が、将来的には他の人に同じ様な辛い思いをさせる可能性もあるではないか」という声を聞く。では、問おう。あの時、もし日本が原爆を保有していたなら、私は、私の親族は、私の愛する故郷の人々は、辛い思いをしたのだろうか。この事から目を背けるのは偽善だ。そして、未来の世代から同じ事を言われない様にするのが、我々の務めと思うのだが。(進)

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